39_定番を避けない。
誰も考えつかなかった、もしくは、やらなかったことは、結果を想像して、これはどうにも上手くいかないんじゃ無いかな?と選択肢から外したものであったかもしれない、という可能性があるんじゃ無いかな?と想像することは大事じゃ無いかな。というような趣旨の意見がどこぞにありまして。
誰が言い出したのかは定かでは無いのですが、なるほど最もだなと思う意見であると、ゴブリンは思うのです。しかしそのよく無いんじゃ無いかな?という想像とか予想だとかが、本当に正しいかどうかは、やはり確かでは無いのでしょうね。
だから試しにやってみよう、という展開になって、そしてどうしてそうなった?という結果を引き起こすこともまた多いのでは無いかと推測するわけです。各方面に被害がなければそれはそれで、やはりそれはダメだったとか、改善の余地がある、とか、いわゆる失敗は成功の母であるというような諺そのものを体現するようなものになるのでしょうね。
無駄なコストをかけたその集団やら個人やら、が、リカバリできるほどの規模であることをお祈りいたします。この場合は、誰に祈ればいいんでしょうかね?故人を悔やむとかいうカテゴリに似ているような気がいたします。
当然、そんな失敗をしたくないので、定番の方法やら、手法やら、商法やらに手をつけるのが普通なのでしょうかね?ただ、他と同じことをしていると、抜きん出ない、目立たない、手を出してもらえないから、少しだけ定番をズラすというようなことをしているんですよ、というようなハウツー本みたいなものは、多そうです。成功体験のものも、人とは違うところをクローズアップして、売りにしていると予想できますね。
みんなと同じことをして、しかし成功してしまった人の伝記とか、意外と面白そうではありますが、主に、ああこれなら私にもできる、未来に希望が持てるなとか、そいういう方面で購買意欲を刺激するような気がします。
こう、普通に生きる、みたいな?本や映像など、発表するコンテンツになっている状況でもう普通ではないような気がいたしますが、逆に手軽にそのようなコンテンツを発表できる昨今、もう珍しくないのでしょうかね?
普通だと思っている本人が書かなくてもいいわけですし、そこはうまく、普通を商売にする製作者とかが、活躍するのでしょうか?こう、山も谷もあまり険しくない、淡々とした人生を、無理なく、余すとこなく、描写して、一つの作品に仕上げていくみたいな?
満足するのが、その登場人物である、貴方、だけでも、商売としては成り立つような気がいたしますが、そもそも、そのようなコンテンツを好むような人格を持つ人が、普通であるのだろうか?という問いが浮かんできますね。
そもそも、自伝を他者が書く、とか、映像として制作するとかいうお仕事は、過去からあったと思いますし、現代もまた一定の需要があるのでしょうね。あまり広告とかは見ないような気がいたしますが、そうでもないかもしれません。広告自体をゴブリンはあまり意識しないのであります。
もしかすると、人気の自伝作家(他伝作家?)が存在するのかもしれませんね。自伝を残そうという方は、昔は結構裕福、とか、生活に困らないとか、何か成功したと言われるカテゴリに含まれていたのではないか?と推測できますが、それならその成功した体験とかを、記録すると、それだけで結構満足するような予想ができます。作品にしやすい人生という、発想ですね。
逆に、平坦で何もない、と思っている人の自伝はどうなんでしょうね?むしろ、細やかな心の機微やら、ささいなで共感できる喜びやらを丁寧に掘り起こしていくことで、万人向けのコンテンツとして完成しそうな気がいたしますし、実際そんな作品もあるのでしょうね。
ある意味、ほのぼのとか、こんな人生いかがですか的な作風は、定番とも言えるのでしょう。
記録として自身の歩みを、残しておきたいという欲求もあるのでしょうかね?
「昔の詩作満載の日記が実家にて発掘された件について」
「諦めと若さへの寛容が必須かと思います。”ご主人様”」
そっと、また蓋をするのも良いかと思います。




