32_戯言でごまかす。
本心をふざけた言葉でごまかすような行動は、これは結構多くのものに見られる現象だと思うのですよ。ゴブリンは徹頭徹尾戯言しか言っていませんので、始まりから終わりまで何かをごまかしていることになりますね。さて、何をごまかしているのでしょうか?自分の気持ちすら、欺瞞の霧に沈めてしまえるなら、それはそれで幸せでございませんか?
遠回しにいう、真実を伝えない、けど嘘はつきたくない、比喩と、冗談まじりの口調でさらりと大事なことを言い放って、言い捨てて、聞き逃させる、なんていう技術は、書物には結構古くから取られている手法でありまして、特に、何か権威を持つものに反する文章を書くときは、それと分からないように、しかしわかる人にはわかるように、工夫をして発表をしたり、こっそりと知り合いだけに回し読みをさせてみたりしたりしていたようですよ?
昨今有名になりました某ノストラダムスの手記とか、その時代の権威に対する皮肉が書かれていただけの文章だったらしいとか、まあ、噂話の域ですが。
面と向かって言うには恥ずかしくて、素直に気持ちを伝えられなくて、百万本のバラを送って、素で引かれてしまうというコメディがありそうです。自分の演出に酔ってしまって、相手の心情やら、好みやらを無視してしまう、独りよがりの行動は、端から見るとちょっと趣味の悪いユーモアが溢れていますね。そういうものを好む人もまた一定数おられそうで、別に否定はしませんよ。
迂遠に行動して、混乱を撒き散らすような人々なんて、物語の中だけのものだという認識がありましたら、それは間違いだと、改める必要がある、かもしれません。常に相手の言葉の内容を吟味せよ、それは何かをごまかしていないか?別の意味が隠されていないか?ちょっと疲れるけれども、頭の体操だと思って深読みをしてみるのも、たまには楽しいような気がしますよ?
世の探偵物語の中、登場人物がつい漏らした、言葉、そのの本当の意味を知った時に謎が全て解ける、みたいな展開は痛快だと思いませんか?それが現実に存在するかもしれないと考えると、無味乾燥な日常に怪異の影を感じることができる、かもしれません。それが楽しいかどうかは、その個人の趣味によりますが。
立場のある人間の失言も、表現に凝ってしまって、失敗してしまっているのかもしれませんね。いや、一国の代表とかが、ちょっと気取った表現をしてしまって、大きく滑ってしまうという事象は、何度か見たことがある気がします。もう少し考えて話せば良いのに?と、思えるのは、第三者的に冷静に見ることができるからなんでしょうかね?
とっさの一言が出てこない、とか、そんなことを言うつもりはなかったのに、ということを避けるために、意味のない言葉をいくつか用意しておくという、知恵もあるかもしれません。意味のないのが最高なのさ、というセリフが印象的な小説の登場人物がいましたが、そんな感じで、洒落た言い回しではなくても、全く関係のない言葉を選択して、その場の空気を変革してしまうような、そんな技術はあるような気がします。
意味無く叫ぶ人は、そういう言葉の代わりに、ごまかしているのかもしれないですね。もしくは威嚇であるとか?語彙が少ないのかもしれませんけれど、それはそれで野性的でいいのかもしれません、普段冷静な人物が、心の底から叫ぶという情景は、こう、胸を突くような展開につなげることができるかもしれなく、ちょっと楽しそうですね。
真実を話すことができなくて、もしくは、直接的に伝えるには、表現が過激すぎるので、オブラートに包むようにして、比喩で表現するような文化は、これはまあ、古くからありました、がそれは、よみとく方にも、共通のお約束を知っているという前提での、技術であったわけですから、認識が違う世界の人には通じないわけです。
そのような状況が、結構多く世界には溢れているので、誤解と誤認識で社会は作られていくのだろうなと思うと、ちょっと幸せな気持ちになる、ゴブリンでありました。
「どうかな?」
「もう少しシンプルに、気持ちを伝えてみればよろしいかと?」