30_はっぴばーすでぃ!!
誕生というのは、人生の最初にして最大のイベントだそうですね。古い動画を魔法タブレットでザッピング(正確には違うのでしょうが)していると、ハイテンションで、”誕生日おめでとう”とっている、鷹とか虎とか蝗がモチーフの英雄物語が出てきましたので、今日はそんな話題で行ってみましょう、毎度、妖精ゴブリンです。
産んでくれって頼んだわけじゃない、何て文句を言う子供にあなたはどう答えるでしょうか?子供を持ちたいという気持ちは、それはまちがいなく生む方のエゴである、とは思うのですが、まあ、周囲の圧力とか、環境からの流れとか、好奇心でだとか、少なくとも生まれてくる子供の意見は聞いてはいないんじゃないかなとは、思うのです。
物語の中には、時空間が曲がりまくって、自分の子供が親に産んでください、って頼むような情景もありますが、実際にはどうなんでしょうかね?かなりレアな事象ではありそうです。
神様からの授かりものです、と、いう精神衛生上よろしい回答を選ぶ人も多いでしょうね。そうすると、なんとも無慈悲な神様ですね、という皮肉が帰ってくかもしれませんが。基本的に神様の本質って、そういうものではないかなぁとは思うのですが。恐れ敬うのが神様の本来の姿であるような気がしますので、その神様の思し召しで生を受けたのであるから、苦難の連続であるのは、そう不思議ではない、と納得しそうになるところに、その子供のひねくれ加減が見えるかもしれせん。
神の実在は別の機会にまた語るとして(少し語っているかもしれませんが)、今回は誕生のお話に絞ってみましょう。自分の存在が不確かであるので、生に疑問を持つのでしょうかね?愛されている、支えられている、辛くない、幸せである、と認識していれば、生きていることに腹たつこともないわけではないかな?と思うのです。
つまり、今幸せでないから、さらに言えば、近い未来にも幸せになるような要素が見えないから、なぜ私を産んだんですか?という凶悪な質問を投げかけるようになるわけですね。環境にもよるでしょうが、自己確立が完全でない場合にそういう考えに陥ることが多いのではないか?と予想できます。つまり、自分を形作る上で、周囲の環境に大きく依存する個人であればあるほど、その起源に不満を持つ、のではないかなぁと思うのです。
未熟であると、断じると少しばかり慈悲がないような気がしますし、そのような悩みから遠くあるパーソナリティは、いわゆる人から離れている、と取られて、遠巻きに見られう対象となるのではないかな?と予想できますね。
そういう個性の持ち主が、他の悩める人に救いを与えるというお話も、パターンとしてはありそうです。
なりゆきで君は生まれてきました。動機は好奇心です。しかし、私は君が大好きで、愛しています。そして、君のためなら、自分が少々不利益を被っても、助けたあげたいと思っています。
くらい言ってあげたら、満足して、ごまかせるかもしれません。それが本心かどうかはやはりわからないでしょうから、日々の行動で、信頼を得て、関係を築き上げていかないといけない、のでしょうね、多分。
親役と、子供の立場に立つものの、関係性を良好なものにするには、とどのつまり、誠実に時を重ねていくしかないんじゃないかなぁと、思うのです。時間が必要なのは、互いになれる、相手の、言わんとすることを、パターンから読み取るようになることが、やはり必要なのではないかと、ゴブリンは思うのです。
基本、誤解と、誤認で人間関係は成り立っているのですから、少なくとも多く接する相手どうしは、それが少なくなるように、解りやすい言葉と態度で関係性を構築していくべきなんでしょうが、これはとても面倒くさいのでしょうね。
あと、気恥ずかしいというものがあるのは、そのものが住む環境の文化なのかもしれませんね。
諦めなければ、結構なんとかなるんじゃないかな?と楽観するのもまた、良い手だと思いますよ。
「両親から見合いを勧められました」
「それでよろしいのですか?”ご主人様”」




