2614_散逸、散々、サンバ、残酷な第三国。
相手が怯んでいるのであるならば、もしくは明らかに防衛能力が下がっているのであるならば、いわゆる隙を見せてきたのであるならば、状況と環境が許すのであるならば、資源を積極的に取りに行くことは群れとしては正義であり常道であり正道であり王道である、のかもしれない、とかいやまあ、根底にあるものは不安を解消したいという欲求であるのであろうかなとも想像できるのであるものの、方法論として暴力を全面に打ち出すしかない状況が許されることは少ないのではなかろうか、いやまあ、それをして許される時代がある場合もこれまた普通に観察できるわけではあるけれども、お寒うこざいますな、ゴブリンです、寒中見舞いではございませんが、一筆啓上申し上げ奉ります、戯言です。
目の前の大事なものを増やしたい、取られたくない、安心して遊びたい寝転がりたいから、それが自分のものであると主張する欲求が幼児にあることは、それほど不思議ではないわけでありまして、まだまだ理性が働かないのか、状況がそろえばいつまでもそうであるのか、分かりませんな。今日も元気可愛いですな。
群れを豊かにしその活動やら生活やら日常を安全安心に保つことはその群れを率いる立場の人格にとって当たり前にしなければならないことであり、その仕事を割り振られた責任と義務を果たさなければならず、そしてそれにはそれ相応の報酬が約束されていなければ構造として破綻することになるわけであり、であるならば、贔屓にされているとされることは本来あり得ない評価になるわけでございまして。
誰がその報酬が妥当であるかを判断するのか、そしてそれは公平で明確で客観的なものであるのかを何者がどうやって保障するのか証明するのかは、おそらく解決することのない命題であるのではなかろうかなとか予想するわけであり、その中で、比較的ましなものを選択していった結果がこの状況であるのではなかろうかなとかもしくは歪んだまま、なし崩しにどうにかこうにか、生き延びてしまった結果であると見ることもでき、今更修正するには無理なほどに構造が歪んだまま固定されてしまった、か、長い時間が必要になるほどに、難しくこんがらがってしまった状況である、と観察もできるのではなかろうか?
土台のあたりから間違えて積み上げてしまった構築を修正する改善する変革するにはどの土台まで取り除いて作り直すしかないという意見もまた正しくはあるものの、ただそれは本当に間違えていたのか、さらには改良するための土台の正しさは誰が保証するのかその評価は正しいのか、という問題がこれまた普通に立ち塞がることになるわけであり、そこを解決することは非常に難しい、少なくとも万人が認めることは、莫大な時間を費やさなければ無理であると予想できる上に、それをなしても、資源の浪費が凄まじく、費用対効果に合わないことは明確である、どこかで見切りをつけなければならない、おそらくそれに関わる存在は全知全能でないのであるから。
基本行動言動計画実行は間違えることを前提にして失敗することを前提にして試みなければならず、無責任にするのではなく、ただ過信しては駄目であるという心づもりが常になければならない、のではなかろうかなとか、ただその態度であると世論を、多数を賛成側に引き入れることが難しい環境であるが故に、成功しか見ずに行動するように振る舞うことが、群れの頭、もしくはその少数の頭たちに求められる資質であり必要な嘘であるのではなかろうかなとか想像するわけであり。
さらにいうならば、群れの多数、実際にそれを現場でなす行動する実行者たちもそれが完全に完璧に成功するただ一つの道筋であるということを表面上疑わないようにしているだけで、実際のところ内心懐疑的になっている場合も多いのではなかろうかな、とこの辺りは、教育の力、そのおかげであると誇っていい精神状態であり、やるからには全力で、しかし失敗しても後に引き摺らないようにという、立場を作り上げることが、安全度を高めると、意識して、もしくは無意識に、立ち回るのではなかろうかなとか想像するわけでございます、いやまあ、普通に踊ってしまっただけのお調子者もある一定の割合いそうではございますが。
このまま集団でそれを成していっても酷いことになるのではなかろうかもっと不安定な環境になるのではなかろうかさらには失敗すると致命的な状況に追い込まれるのではなかろうかという不安を表面上でも押し殺して、馬鹿騒ぎに近い周りに合わせて踊ってしまう民衆となってしまうことを、認めてしまうのでございまして、誰かが踊り始めて、それに合わせてしまって、音頭も取られてしまったが故に、最後まで、もしくは盛大にけつまづくまで、踊り続けるしか無くなってしまった、すでに選択肢は無くなってしまった、そのような状態になっているのではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
どうすれば良いのか?最悪を予想して備えることを始めるべきではあるかとか、もう止まらないのであるならば。もしくは諦めて覚悟を決めておくでしょうか?その後にくる危機を楽しめるのであるならば、ある意味幸せになれるかもしれません。おしまいです。
「最後には神様がなんとかしてくれるから踊ろうよ、という生き方もありますね」
「小さなところから上手に制御していかなければならなかったとは、後で言えるのです」
「宗教的に誠実に振る舞うって、刹那的になるのは面白いですな”旦那様”
結果から遡らないと観測できないことが多いですからな”奥様”」




