2612_楽市楽座楽太郎馬が喋るは先代。
伝統芸能というものは続いているからそうなっているのであってあえて続かせようと企んでいるものではないのではなかろうかとかいやまあ意地になって続けてきたという場合もこれは普通にあるのではなかろうかなとか、片骨者と申しますか跳ねっ返りへうげものあたりがなぜか寄り集まって反骨精神で持ってして長々と往生際悪く足掻いていった結果であると捉えるとそれはそれで可愛らしいものがあるのではなかろうかなとか、どこからかの目線であるのかよく分からないまま褒め称えてみたく候、誰なのですかね、ゴブリンです、お元気ですか?こちらは元気です、意地になっているわけではございませんが、そろそろ一芸に足るほどには文量が蓄積されてきたのではなかろうかなとか、思考しつつ誇りはしませんしむしろ多少の呆れと共に今日もやっていきましょう、成敗。
踊りが伝統芸能に似ているというよりは、幼児のできるような動きがなんとなく本能に訴えかける型に似ていくということであるのではなかろうかなとか、自然に無理なく動く動きが芸術に通づるものになるとかなんとか、いやまあ、可愛らしいのでよろしいのではないでありましょうか?今日も元気可愛いですな。
洗脳であることには違いはないわけでございまして、ここには良い洗脳と仕方がない洗脳と意図しない洗脳しかないのではなかろうかなとか幼児教育と申しますか伝統芸能のそばに住んでいるという不利益が襲いかかってきている可能性があるわけでございますが、それはそれとしてどの状況でも環境より思想に影響を及ぼすことはこれはまあ普通のことであり、避けられないと申しますか積極的に推し進めることで社会構造の強固化を推進することになるのではなかろうかなとか、集団で生活する群体にも似た生命体にとっては必須の技能とか仕組みであるのではなかろうかなとか想像するわけでございまして。
疑問に思う時点を過ぎ去ってしまうことが大事なのであろうかなとか三歳児までに刷り込んでしまうわけでございまして、負荷なく効率的に集団で生きるためにはこれまた必須の能力と申しますか、ここでそれがなされなければそのうちに淘汰されてしまっていた恐れがあるわけでございまして、結果的にそれほどの問題にならなくなってきているのではなかろうかなとかいやまあ、それはそれとして反抗期はあるのではなかろうかとか指摘はされるわけであり、自我の形成が正しくされるためには必要であるという意見もこれまた正しいわけではございますが。
行動力が強い、実行力がある、しかし精神が幼い個体が存在するとこれまた困ることになるわけではございますが、下手をしなくともその環境自体が大きく破壊されてしまうことになるわけでございます、それはそれで、新しい環境を作成することができるということであり、多様化の幅を広げることになる、生き残る目が増える場合もあるので両手をあげて降参してしまうような状況になるのではなかろうかとか、降参してどうするのでありますかというならば、早めに諦めて次の手を模索することができるという点で、大きな利点を生むのではなかろうかなとか想像できるわけでございます。
それは痛快であるかなとかつまりは伝統を破壊することはそのような感情と申しますか価値観を生み出すわけでございまして、理不尽と言いますか、管理されている社会をどうにかこうにかして吹き飛ばしてみたい、斧の一撃でこんがらがっている全てを断ち切ってみたいという欲望はこれまた普通にあり得るものでございまして、これがそれほどの実行力を持たない弱者がやるならば微笑ましく思えるわけではございますが、ある程度以上の実力を備えたものがやり始めると、笑ってはいられなくなるか、笑うしかなくなるのであろうかなとか想像するわけではございますが、それはそれとして、胸のすくような感想を抱くこともできるのではなかろうかとか想像するわけでございます。
迷惑千万であるという意見には概ね同意するわけではあるものの、その迷惑が面白いかそうではないかと聞かれると、面白くなってきやがったぜ、という言葉がかえるくらいの精神性を持つことが余裕に繋がるのではなかろうかなとか、人生を豊かにするのではなかろうかなとか、いやまあ、破滅主義では豊かにならないのではなかろうかとか、どうせ滅びるならば、楽しく行こうぜ兄弟とか、言い切ってしまう方が、実のところ土壇場でどうにかなるのではなかろかとか、楽観主義を過ぎ去ってしまうような人格が、主導権を握っている世界なのかも知れず、いやまあ、恐ろしいということではあるのではありますが、それも制御不能であると言いますか、始めてしまったならばもう最後まで転がしていかなければならないという傾斜がキツくなることはわかっているのに、巨大な玉を蹴り飛ばしてしまったようなものに例えられるのではなかろうかなとか、連想していくわけでございます。
どんどんおかしくなっていくのではなくおかしいことしかなかったと気づいていくことに対して笑いが生まれている、それが現状の正しい認識ではなかろうかなとか、連想したあたりでおしまいです。
「終末はすでに宗教概念として一般化されてはいるのですよね」
「穏やかに終わりを迎えるための科学は必要になりそうです」
「信仰がなくなりつつあると別の仕掛けがいるようになりますな”旦那様”
知性に振り切った認識で持ってして覚悟を決めれればよろしいな”奥様”」




