251_好奇心で猫をかぶってはいけません。
大きな猫をかぶったことによって、不本意な恋愛騒動に巻き込まれる恐れがありますので、安易な擬態は精神に大きな負担をかけることになり、健康を損ねる可能性がありますので注意いたしましょう、と、いう、ちょっと何を言ってるのかわからないよ、トム、のようなセリフが聞こえてきたりしたら、それは幻聴でありますので、その手のお医者を訪問されるか、早く寝てしまうことをお勧めします、ゴブリンです。
猫をかぶるの語源を調べてみますと、本来の性質を隠して、のんきで、可愛らしい猫のふりをすることを指して言うとか、ねこと呼ばれるむしろとかござで顔を隠して、近づいてくるとか、いうものがあるそうでございます。猫が可愛らしいとか、のんきで世間知らずであるとか、誰が言い出してのでありましょうか、全くそんなことはないでしょうと、リンクを辿って猫の画像を眺めていると、そのか愛らしいさに小一時間経過していましたので、もしかすると猫はその本性を隠して猫を被っているのではないかという疑惑が持ち上がってきましたので、今後の研究が待ち望まれます、とニュースキャスターがしたり顔で言葉を閉める映像が脳裏に浮かんできました。
猫は等号で可愛いと結ばれることが明らかになったところで、その皮を剥いでかぶるような行為をする者は、確かにタチが悪いと言われても仕方がないと申しますか、猫愛護団体の過激派に狙われても仕方がありませね、と犯行を擁護するような心持ちになってきますので、猫にとっては、しめしめと内心ほくそ笑んでいるのかもしれませんし、そこらへん何も考えていなくて本能のみで生き残る戦略を練ったような頭もないようなおバカな感じがそれはもう相当愛おしいと、する方々、つまりは猫の中毒者がおられると観察されます。
しかも猫は火星の猫を人知れず狩っている、地球の守護者的な立ち位置でもあるわけでございまして、侵略の魔の手から猫缶と鰹節と、後チラチラと目の前を横切って楽しませてくれる、ふわふわを動かしてくれる下僕をついでに守ってくれる勇者でもあったのです。なんとも素晴らしい生き物ではありませんか。
けれども、猫の素晴らしさは、それが猫であるがゆえに素晴らしいという言葉に集約するわけでございまして、他の何かに例えてその素晴らしさを讃えるのが無粋というものであるくらいに、完璧な生き物で、その抜けたところでさえ、計算し尽くされたような風態をなしているという、完全生物が何かと問われたのであるなら、それはこの愛しいニャンコ様であるのであろうかと。
そして、素晴らしいのは、このニャンコ様に尽くしていると、他のことに時間をとられることがなくなるので、人という猫の奉仕者は、その情熱を全てかの御方に注ぎ込むという、法悦な時空間に支配されることによって、真の平和と、心の平穏を得ることができるのであります。それに対して、お猫さまはその愛らしい口調で、一言、天井の調べにも似た、まさしくネズミを捕まえてしまう天井裏のごとくの暗がりに潜む、背徳感にも似た世界の、音楽にも似た鳴き声を、聞かせてくれるだけ、その気まぐれに鳴く、お声を得んがために、向かうのが、まさしく戦士というものでありましょう。
などといったような趣旨で、辻説法をしておられる方がおられましたら、思わず猫派に鞍替えをしそうになるような気がいたします、別に犬派でもないわけではございますが、あえて異いうならば人はの性質でございますゴブリンでございます。しかして、偶像でしかない存在を讃えるよりは、現世利益が多少なりともあるような猫を、精神の支柱として、生きていくのもまた、平穏を作り出す一つの手段ではないかとは思います。
つまりは、世界の頂点、その象徴を猫という存在にしてしまおうという試みでございまいて、どんなに強面の政治家とか独裁者とかでも、猫を愛でているということになりますと、これはもう、一息に和んでしまって、まあ、そんなにカリカリしなくてもよろしいのではありませんかと、生きることに余裕が持てそうな気もいたしますので、世界の支配者として気ままに君臨していただける猫様を、絶賛募集中いたします。よろしい思想ではございませんでしょうか。
「ハシビロコウ派とか、マイなな勢力が地下に潜ったりしないでしょうか?」
「まあ、対立しても気にしないのが猫さまでありませんか”ご主人様”」




