24_かみさまへるぷ。
宗教問題は色々マズイ展開になるので避けている、妖精ゴブリンです。ゴブリン的には妖精の王様と女王さまを信仰しているスタイルではあります?まあ、敬ってると言うか、責任の所在はこちらへと、事務方のトップという感覚ではありますが、妖精って上下関係があまりないんですよね?
神、というとこう特別なインパクトがある単語のようなきがする、文化と、はいはい、神さま神さま、そうですよね、いましたねそんなお方、というような文化とまあ、いろいろなわけです。祟り神やら、良き神やら、人間くさいのから、超越しているお方やら、語るのすら不遜であるという方から、深遠にて潜んでいるお方やら、フルートの音でもってまどろんでいるお方やら、ええと、こう多種多様な方々が、創造されておられるわけです。これらを作り出した人間の概念、その多様性こそ神聖なものである、とか言ってる方もおられそうですが、さて、実在を証明するのも否定するのも、難しいというより、色々危ない内容になり兼ねませんね。
そこをあえて、踏み込んでいけるといいなと思う次第であります。過激な方は”すでに神は死んでいる”といったりもしているみたいですが、よくよく調べてみると、神を否定しているものではないのではないかな?という結論が生まれるあたり、神様というのは面白い存在ではないかと、側で見る分には思うのです。人間ってすごいですね。
基本、生きるのに辛い場所での神様は、厳しい戒律で、信者の生存確率を上げる戦法を取っていたようです。ある程度、気候的に大丈夫なところは、結構ゆるい神様が幅を利かせていた、と、いうことらしいですね。
なので、そういう、厳しい、生きるということが目標となる地域の神様は、こう、なんとも過激なんですね。最初はそれほどでもなかったんじゃないかと、想像するんですけど、社会的にまとまってきて、集団で生き残るためには、間違いを犯す人が致命的となって、どんどん厳しくなってきたんじゃないかなぁとか、は結構簡単に想像できますよね。
集団で生き残る、集団にならないと生き残れなく、その集団も意思が統一されていないと、簡単に滅びるようの世界であったので、厳しい神として成り立った、んでしょうかね?
で、現代もそれが解消されていない。結構生き残るのが厳しい、という現実は実は、太古の昔から変わっていない場所があるのだろうなと、むしろ、環境的には、その昔より人口が増えて、人に都合の良い自然が少なくなりつつあるので、さらに厳しくなってくるので、より苛烈になりつつある、のかもしれませんね。
一方で、こううまくやってしまった地域の神は、それはそれで、歴史という重みから厳格なものとなっているけれども、苛烈か?というと、慈愛とかが全面に出るようになってしまったのかもしれないですね。もしかすると、表面的には優しいけど、内面はかなりマグマのような怒りが溜まっているのかもしれませんが。
少なくとも、経済的に豊かになって、精神的な支柱に神を必要としなくなった人が一定数増えてきているのかもしれません。というか、増えているでしょうね。少なくとも、心のそこから、偉大なる何かのために生きるという感情を自然に沸き上げさせるような、人は、少なくなったのかもしれません。ええと、もともとそんな人は少なくて、祈っておくとまあ、得かも?とか、人付き合いで、とか流行に乗ってとか、で信仰していた人の方が多かったというオチもありそうですね。
すでに、神はその役割を終えて、今は、何か巨大な社会的なシステムがその役を担っている、のではないかとか思いますね。そしてそのシステムは、容易にカリスマ溢れう一個人が乗っ取ってしまうことができるかもしれない、と夢想できるくらい危うい印象があります。
盲目的に神を信じるのと、周囲に流されてしまう現代の民衆と、どちらの方が、ましだったのだろうか?という疑問を感じられる、という人もおそらくいるのでしょうね。
まあ、私はゴブリンなので、そういうことは人どうしでどうにか解決してくださいませ。
「で、今度意識改革のセミナーに誘われちゃいまして(嬉しそうです)」
「それは善意の陰に隠れた、悪意ある勧誘と、思考誘導ですよ、我が”ご主人様”」




