22_無駄なのが楽しい。
それは無駄なことだからやめておきなさい、と言われて、やめようとしている方は少し待ってみましょうというお話になるかもしれない、本日のゴブリンです。
ゴブリンは生来ひねくれ者の日陰者、のようなスタンスて生きてきたような気もうっすらとしてくるような生物なのですが、これでも昔は素直で、やるなと言われてことは、できるだけやらないようにしてきました。
こう単純な生き物であった時代は、入ってくる情報が少ないので、一度禁止されたことは、だいたいやらないようになったわけなのですが、これがどうも、状況によって、禁止された内容が変化することに気がつきまして、というか、禁止事項に揺らぎがあるのに気がつきまして、ああ、これは自分の判断で決定しても良いような気がするなーと、思い始めます。
おうおうにして、自分判断というものは間違っていることも多いですというか、まあ、その作業の経験とか、他からの連想とかが少ないときは、半ぶんくらいは間違っている、ような気がします。熟練者から見ると、これは大回りをしているな、とか、無駄な作業をしているな、とあ、そういう風に見られることも、直接言われることもあったり、なかったり?
まあ、ゴブリンだしよく覚えていないのですが、現在存在しているのですから、それほど致命的な失敗はしていないのだと思いますが、どうでしょうね?
でまあ、いろいろな場面で、それは無駄です、やめたらどうですか?とかもっと、オブラートを突き破るようなとげとげしさで言い放ってくる、こう親切なお方がいたりしたわけですが、確かに効率を考えると無駄である、とか、その時間、他のことに使っていればもっと無駄でないことができたのに、という意見もそれほど的外れではないのかもしれません。
が、その無駄だと判断したのは所詮他人でありまして、自分ではないのですよね。というか、無駄と判断できなかったので、やっているんですから、それはなぜかというと、楽しいから、という回答がシンプルにされるのじゃないかなとか思うのです。思考停止ですか、その通りです、と高らかに言って良いのかもしれません。
考える、考えすぎることのストレスの元であるなら、感覚を信じて、楽しんでみるのも、局面を打開する為に必要な行動なのかもしれない、とか、理論武装をしても良いかもしれませんが、正直、そこまで考えなくても、自分の思考というものが自動的であるから、ここは流れに任せてみようとか思うこともあるのでしょうね。
生きる為には必要ないことを、あえてするというよは、余裕があるということですよ。経済的にかもしれませんが、心情的にかもしれませんが、社会的かもしれませんね?ただ、生き延びるためだけに生きるには、人の心は複雑になりすぎたのかもしれません。
もしくは、人と人の関係が複雑になっているのかもしれませんが。なので、無駄なことが、関係性に利害関係を加えない、誰の特にもならない、あえて言うなら馬鹿馬鹿しいことが、無性に楽しい、と感じる人もいるのでしょうね。
悪癖と呼ぶ人もいるかもしれませんが、そこは、それがどうしましたか?とニヤリと笑ってみるくらい余裕ぶるのも面白いかもしれません。人間関係にヒビが入る可能性もありますので、ご使用はご計画的にお願いいたします。
人の悪意を掻き立てるのが無性に楽しいという人もいますね。これは確かに無駄ですし、危険な嗜好ですが、そういう人もいるんだと、純粋に悪を楽しむ、”人”もいるんだと、覚えておくと、結構、危機を回避することも可能かもしれません。
対策を練るのは、大変でしょうかね?近づかない、近づかせないのか基本でしょうが、これが、また、悪意を秘めて、楽しんでいるのを気づかせない方も多いようで。
逆に、露悪的なキャラクターならば、なんとも微笑ましいのですけども、なかなか、出会うのは難しい、ものですね。
「それで、朝晩この壺を磨くと幸せになるんですって(語尾が弾んています)」
「クーリングオフって言葉を知っていますか?”ご主人様”」
さすがにこれは無駄遣いだと思うのですが、いかがか?