2099_ゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!で判明。
書き文字と独特の立ち姿でどのような漫画かわかるというのは強いのではなかろうかという話でありまして、はい、文化というか、亜文化というか、いや、もう本文化でよろしいのではなかろうかなとか、冷却的な表現であるとかなんとか、無理やりに漢字で表現した感じがございますな、ええまあ、今日も元気に無駄話でございまして、お元気ですか、私は多分元気です、なゴブリンがお送りします。
無駄に元気というか、じゃんけんにそれだけの気力を注ぎ込むようになったのは確実に漫画の影響ではないですかね、お陰で無駄に疲れるような気がしますが、楽しめるならそれはそれで良いのかもしれません。今日も元気可愛いですな。
社会現象になるほどに有名になったらばそれは勝ちと言えるのであろうかなとか、誰に勝つのであるかというと、文句を言われにくくなる、賞賛に値する、実績として認められる、尊敬されるという感覚の、社会的な地位を確保するという意味合いであるのではなかろうかとか、羨ましいという感情を抱くのはそれほど間違ってはいないのではないではありませんでしょうか。
ある程度それを認められる、その行為を許されるようになる、もしくは勧められるようになると、これはまあ社会では生きやすくなるということであり、否定的な意見が寄せられなくなる、もしくは肯定的な意見が多い状況にあれば、精神が安定するようになり、そのまま幸せに通ずることになるので、良いことであるという話ではあるのかなとか。
なので、結構な方々がそれを目指すのではなかろうかとか、単純に褒められることが楽しい嬉しい気持ち良いということかもしれませんが、副次的な効果として、生存率が上昇するという生き物としての本能を満たすようになっている、のであろうかなとか、英雄思考に近いのでありましょうか、もしくは救世主思考であるのでありましょうか。
ある程度の自己犠牲が織り込められている思惑という話でもあるのかなとか、苦しい思いをしたのであるならば見返りがあって然るべきであるという価値観というか、心理的な不均衡みたいなものを信じてしまっているとも言えるわけではございますが、実のところ本人の負担がどうであれ、賞賛される時はされるわけでありますし、そうでない時は、全く何も掠らないばかりが、逆に非難されることもあるのではなかろうかなとか。
ただ、努力をしていることを見せるという演出は、これは結構大多数の観衆の胸を打つ可能性が高く、そこを疎かにしていると、評価がままならないという構造にはなっているのであろうかなと予想し、観察もできるわけでございまして、この辺り、情報が正しく伝わらないという弊害と、利点が交差している可能性があるのではなかろうかなとか。
それほど苦労はしていないけれどもそのように見える伝わるのと、苦労が伝わらない努力が伝わらないという、この二つの現象の間で、問題が発生しているのであろうかなとか、逆に正しく伝わらないからこそ、うまく回っている現場というものもありそうではあるかなという予想もございまして、この辺り振れ幅がどれだけ存在するのか、それを小さくする方が良いのか、もしくはさらに誇張することが必要になるのかとか、思考すると結構楽しそうではございます。
嘘ではないけれども大袈裟であるとか、紛らわしいとか、相手に想像させるというやり口は一つの技術として成り立っているわけであり、この辺り、正確に伝わらないということが、利点になっているのであろうかなとか、この技術を学んでいない限り、正当な評価にすら届かない可能性があるのは、労力を表沙汰にするために誇張しているという、共通認識が結構な現場にあるからであるのではなかろうかなという予想がございます。
その手の表現が苦手であるということは一定の時間それも、ある程度考察することによってしか判明しない特質であるわけでありますので、一期一会であることが確かであるならば、結構過度に自身の得点を相手に大袈裟に示さなければ、真っ当な評価がしてもらえない可能性があるわけでございます。
ただ、これには当然逆の側面もありまして、なんでもないことを大袈裟に評価に値するように言い募っていると、かなり割り引かれて評価されるようになり、結構良いことをしても、それは大袈裟であると過小に扱われる可能性が出てくるということであり、まあ、塩梅が必要でありそのために技術を磨く必要がある、のかもしれないとか、ぼんやりと想像しつつおしまいです。
「神様に比べたらどれも凄いものではないとか言い出すと困りそうではあります」
「定量化客観視化しても前提が違うと同じ評価では不具合が出るという問題」
「比べることがそもそも不遜であるとかになると救われそうではありますな”旦那様”
環境も含めて定量化して評価しなければならないわけですな”奥様”」




