2095_よくよくくよくよ、くくく矢印。
導かれたりするのでありましょうか矢印にこれはここにありますよ、順路ですよ、指し示しているものでありますよ、という記号ではありますがなぜに矢なのでありましょうかねという疑問がそこはかとなく浮かんでくるわけではありますが、槍なのかもしれないという意識が浮かんでくるわけではあります、ただの棒からの変形であるのかなとも連想するようなつらつらと思考を浮つかせながら始まる今日のゴブリンでございます。
尖っているものが好きになるという話でもあるのであありましょうかね、いやねじ込むのが面白いとか、土いじりとか砂遊びに便利そうであるという話でもあるのでありましょうか?今日も元気可愛いですね。
ただの棒線ではどちらが前かわからないので印として返しをつけてみたという感じであるのでありましょうか三角形を書くよりは労力が少ないというのも狙い目であったのではなかろうかなとか、簡単に方向を示すことができるという工夫の結果というか、自然な流れであったのではなかろうかなとか、しかし誰がそれを矢であるとか言い始めたのでありましょうか?
形状的には確かにそれは矢に見えるわけではありますが、槍印とかにはならなかったのでありましょうか、むしろそちらの方が長く描けそうではありますが、いやまあ、短い方が便利であるのであるかなという予想がありますので、やはり槍はないかとか、言いにくい、発音しにくいというものがあるのであろうかなとか、いやそれはそれで、他の言語圏ではどのように表現しているのでありましょうか、矢印。
くの字で表現することもまた自然な感じではあるのではありますが、最初の棒がなくなっている分描くときの労力は軽減されているのであろうかなとか、ただ、視認性はいささか悪くなっていると言いますか、方向を指示している意味合いが取りずらいということになるのかもしれないとか、くくくとか並べることでその欠点を軽減させることもできそうではございますが、そうなると今度は、記入する労力の軽減という意味合いが薄れてくる、わけでございまして。
寸法を指し示す時には矢印は使わず、一角折って、数字をそれに添えて書きやすいようにした記号やら線やらを使用するわけであり、別にそれは矢印でも良いのではなかろうかという意見もございますが、それはそれで別に、幅を表現するあたりで使用したりするのであろうかなというという用法がございまして。
画面が汚くなる、細かすぎるようになるということが問題であるという意味もあるのではなかろうかなとか、一つ一つ注釈を入れるように空間に矢印が満ち満ちていると、それはそれで、ちょっと暖簾を避けるようにして、くぐり抜けたくなるのではなかろうかという予想が生まれてきてしまうわけでありまして。
拡張現実の空間であったならば矢印はつけ放題ではあるものの情報量の多さに眩暈がすることになるので現実的にはそこそこの数で収まってしまうのではなかろうかなとか、ただ逆に情報量が多いのであるならば、何が何を指し示しているのかを詳しく表現しなければならないので、矢印の数が膨大なものになるのではなかろうかとか。
要は注目しているものがはっきりと判明できれば良いのであるのであるから、明度とか、協調線とかを工夫して使用するというやり口もあるのではなかろうかなとか、拡大してみるのも一つの手ではあり、なるほどそのように視界を整えることができれば、矢印は最低限で済むのではなかろうか、別の要素で、混乱はしそうではありますが。
そこに注目させるという意味合いでそれ以外が目に入らなくなるような工夫を、心理的に行えるような画面を生成するというやり方はできそうではありまして、映画とか映像分野では既に技術として確立しているのではなかろうかという予想があるわけでございまして、いやその分野でも矢印は有効に使われている可能性はあるのではなかろうかなとか。
やや離れたところへも届くという意味合いで矢印を使用するというやり口はありそうではありまして、そもそも弓で持ってして遠くに飛ばす道具でありますから、元々の意味に沿っているのであろうかなとか、では、弓は記号のどこに行ってしまったのであろうかという疑問が浮かんでくるわけでございまして、弓矢で一纏めにして思考しているならば、矢印のそばには弓じるしがあって然るべきではなかろうかとか、益体もないことを連想しつつ、おしまいです。
「弓と矢の発明は人に過剰な狩猟というものをもたらしたとかなんとか?」
「どちらかというと持久力と罠が過剰をもたらせたという話じゃなかったですかね?」
「数を揃えて人に向けると効果的という発見じゃないですかな”旦那様”
追い込みというか追いかけ猟とかの部類ですかね”奥様”」




