2091_故郷は遠くにありて重いもの、ヘビー。
柵ではあるのであろうかなとかは思考するわけでございまして、その評価はどうなのであろうかなという意見もございますが、血縁、地縁は切っても切れないものである、場合も多くではどうやって付き合っていくのかという話に流れていくわけでございます、いやまあ、すっぱりときっぱりと切り離してしまうやり口もあるわけではございますし、その方が有益であることもまた多いのでありますが、などとぼんやりと連想しつつ始まる今日のゴブリンです、田舎は苦手な都会派でございます。
人のとの関係が希薄というよりは程よい距離感を得られるという感じではないでしょうか、子供との関係がそれでよろしいのかというと、時と場合によりそうではございますが、今日も元気可愛いですな。
人は集団で生きる性質があるわけであり、分担する協力する被害を偏らせる多様性を維持するなど利点が結構あるわけでございますが、その辺り一人一人の能力が低いからそうなっているのか、十分にありなおかつ集団であった方が効率が良い、単純に群れとして強いからそうなのかで、印象が結構違いそうではございまして。
全体を見て最善手を指すことが全ての所属員にできるのであるならば実のところ争いは発生しないわけであり、ある意味個人を否定しているのかとか言われそうではあるのでありますが、それを尊重しつつ全体を活かすような思考が全ての個体でできるようになるならば、それは群れとして完成してしまっているというか、便利ではあるのであるのかなという話ではあります。
ただ、それにかかる資源が間に合わないという可能性もありつまりは、個々の実力を育て上げるまでの時間やら教材やら仕組みやらが構築する維持するためのそれが足りないという問題は常につきまとうわけでございまして、この辺りの資源をどう確保するのかが近々の課題になるのではなかろうかなとか予想するわけであり。
若い個体に歳上の個体が学習させるような枠組みができていけば良いのではなかろうかという話ではあるのではありますが、それは自分の強みをなくすということにもつながるので個人で考えると悪手であると判断されてしまうわけであり、つまるところ相手が強くなると相対的にこちらが弱くなるという発想でしかないわけでありまして、それもまたそれほど間違ってはない判断ではあるものの、近視眼的ではあると、言い切ってしまって良いのではなかろうか?と予想するものでありまして。
この辺り全体を良くしていくために知識技術の伝達を遅滞なく行うような仕組みを構築する必要があり、そしてそれは価値のある仕事である役目であるという共通認識を広く浸透させる必要があるわけであり、なぜならば、その手の知識技術の受け渡し訓練学習は直接的には何も生み出さないわけであり、生産性がないものであるという、短絡的な評価を下しかねないからであり。
さらにはその学習訓練が尊いものであるという認識が強すぎる場合もまた問題であり、なぜならば善行は無報酬で施さなければならないという誤った認識が全体に薄く広がっているからであり、無償の愛というある意味毒のような概念が色々なものを歪ませていくわけでございまして、それは犠牲になってもらうという意味合いではないのであります。
見返りを求めないのは、それ同士が互いに助け合っているという前提であり、一方的にそれが当然であると搾取されるだけの不公平な関係性を肯定するものではないという話ではあるのでありますが、では、弱者は、報酬を支払えないものは見捨ててよろしいのかという、過激な意見が出てくることもまた当然でございまして。
基本弱者は助けになったことを素直に感謝して誠実に褒める崇める相手をいい気持ちにさせるという対価が支払えるわけでありそこは卑屈にならずに、感謝するだけでよろしいのではなかろうかなという予想がござますが、そもそもそのような意識すら抱けないような方々であるならば、これはどうなるのであろうか、切り捨てることが良いことであるのかという話にもつながっていくわけでございまして。
基本それらは自己満足であるという話であり、それを肯定していくことが社会を維持するに必要な共通認識であるのではなかろうかなというふうな結論がどこかで出ていたような覚えがございまして、その辺り自然にちょうど良くなすべきことを全ての方々がなせるような構造を構築することが大切であり、理想であり、まあ、当分無理ではあるかなという冷静な判断も行えるわけであります、とっ散らかったところでおしまいです。
「思考を統率させるための記号としての神は必要ではあったのでしょうね」
「全ての人がやることをわかっている社会というものを目指すべきでしょう」
「自分で考えることをやめろという仕組みではないのですね”旦那様”
みんな頭が良くなればという話ではありますな”奥様”」




