2083_木になるあいつ、考えを放棄。
脳みそとか感覚器とかその他諸々を切り離して、植物のような感じに変質して、長く生きるというやり口は、それは生きていると言えるのかという話にはなりますが、生きてはいるけれども考えてはいけない、思考を放棄しているとしか言えないのではなかろうかなとか、それが幸せかどうかは、そうなっているものにしか分からないのではありますが、どうとも感じないのであるならば、なってみたいかどうかは趣味の範囲ではあるかなとか、ぼんやりと想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
考えることを放り投げて感性だけで楽しもうというやり口も実のところそれほど悪いものではないのではなかろうかとか、やったもの勝ちではあるのかなとか、いや、許しませんけれども?今日も元気可愛いですな。
生き物としてならば、それは生存を前提にして戦略を立てるべきではあるものの、それはそれとして、その場その場の流れと情報の影響で、矛盾した行動を取ることもあるのではないかなとか、実際に観測できるわけではありますし。環境によって、もしくは学習によって、流されるということもありましょうし。
共通認識というものはそのようなものであり、全員がそうしているからそれが正しいのであるという、思い込みとか誤魔化しとかの結果ではあるわけでございますが、それはそれで上手にとはいかないまでも、ある程度破綻しないまま構造が維持できてしまっているのであるならば、あまり改善とか改変しようとはしないわけであり、なぜならば、変えるということには資源を消費してしまうから、基本忌避されるものであり。
ただ、未来において総合的に元が取れるというか、特になる利益になるのであるならば、目の前の損を受け入れることもあるのではなかろうかなという話ではありまして、つまるところ想像力が必要になるのであろうかなとか、それも客観的で正しいというか論理的な、身も蓋もない事実の積み重ねと、それを受け入れる下地がある上でのそれが。
倫理観というものは群を守るための仕組みに過ぎず、そして状況は刻一刻と変化しているのであるからして、そこはうまく改変していかなければならず、しかし安易に変えてしまうと安定を逸してしまうという問題もあり、この辺りは均衡を保つ必要があるのではなかろうかなとかは、容易に予想できるわけであり。
つまるところ急激な変化は危険を伴うというか、変化しきれない可能性が高いわけであるが故に、無意識の範囲で働きかけなければならず、そうであるならば、秘密というか、隠れて、目立たずに、しかし確実に伝播するようなやり口が必要になるのではなかろうかなという話ではあり、ただ、そのためにはそれが分かっていて、影響を及ぼすことができる人材が、相当数必要になるのではなかろうかとか。
実行役はその真意を知らなくてもよいという話にまで構造を変質させることができるのであるならば、少人数でもなんとか動かせる可能性はあるのではあるけれども、これには時間がかなりかかるか、運の要素が、まあ、どうやるにせよ、必ず絡んでくるわけではございますが、必要になってくるわけではあります。
下準備として雰囲気で流されるような環境を学習させる必要があるのではなかろうかなとか、そしてそのまま一息に論理的な思考こそ必要であるとか、格好が良いものであるとか、合理的でいて、しかしそれが自然に受け入れられるような、下地が広く必要になってくるのではあろうかなとか予想するわけでございまして。
ではそうするためにはどうすればよろしいのか、となると、これはもう複合的に色々と手をかえ品をかえやっていかなければならない上に、決して本来の目的を悟られないようにしなければならないという微妙な匙加減が必要になる、可能性が高いのではなかろうかなとか、具体的にはどうするのかというならば、共感を利用するという話にはなるのではなかろうかなとか。
受け入れて組み替えて流していなして向きをそれとなく変更させて、誤魔化して時間を稼いで、同一の問題を読み解いて、いつの間にか解決に導いていくような流れになるのであろうかなとか、状況やら環境やら、その場に至るまでの歴史やらによって、とりうる手は変わってくることは確かではありますが、真正面からいくことはやはり避けなければならないのではなかろうかなとか、そうするにしても、機微を読む必要はあろうかなとか、ぼんやりと想像しつつおしまいです。
「どこかでは思考を停止しておかなければならないという話でもありますね」
「個人が大きく前に出ない方が良い場合は、確かにありそうですね」
「宗教の役目が一つではありそうではありますな”旦那様”
マルチゲームの鉄則ですな、目立ってはいけないという”奥様”」




