2077_はたけ、たたけ、うけけ。
なんぞの妖であろうかなとか、いやまあそのような怪異はいないことになっているのでありますが、一方で神秘はあるという立場の場合、矛盾はしているのでありましょうが、それが人間というものであるのじゃよという謎の老人的な台詞をそれっぽく吐いてみると納得される風潮があったりするわけでありますが、それはそれで文明を苔にしているような気がいたします、苔むしてどうするという指摘は甘んじて受ける今日のゴブリンです。
お化けなんて嘘さお化けなんてないさという気持ちになることは無理ないとは思いますが、それでも闇が怖いという気持ちは、いやまあ、むしろ心地よいという気持ちがあるのはすごいのかもしれません。今日も元気可愛いですな。
認識の埒外にある現象を不思議というのであるかなとか、いやそれはただ単に無知であるだけの結果ではあるかという指摘はこれはまあ、興醒めであり、怪異を楽しむべきではなかろうかとか、わからないことを心地よさにかえるべきではなかろうかとか、曖昧を受け入れる、心の余裕としてみるということも必要なのかもしれないとか。
ただ、それはこの場合は困るという状況もまた多いわけでございまして、どうしてこうなるのかがわからなければ再現できないという商売にならないというか利益が確定できなくて弱ってしまうということはありそうであり、いや、別に原因というかその筋道はわからなくとも桶屋が儲かればそれで良いという場合もありそうではあり。
好奇心であるかという話ではありますが、それは必要のない感情ではないのかという意見もございまして、そこで快楽を得るということが難しくなっているのではなかろうかという、情報が溢れすぎていて、不快に繋がる物語を敬遠するようになってしまっているからこそ、かたよった趣味に邁進してしまっているのかもしれず。
書痴が少なくなったとか乱読家がいなくなってしまったとかそのような話であるのかなとかいや絶滅したわけではなく、絶対数が減ったということであるのかという話ではあり、それはとどのつまり好奇心を育てる環境というか素地がなくなっていっているということではなかろうかなとか、長じると知りたい欲が少なくなっていくという話ではあるのかなという予想ができるわけでございまして。
他人に無関心となるという話でもあるのかなとか、楽しむだけであるならば、感動するだけであるならば、どこでも何でもその種が転がっており、さらには自分の好みのものだけを快楽に直接通じるものだけを選択して行っても、とても消費しきれないくらいのものがあるということではあり、これはまあ、確かに飼い慣らされている感じはするわけであります。
反骨心というか、反抗心というか、体制に逆らうような意識はそのまま残っているのに、好奇心だけがないというと、これはまあ、かなり歪な入力によって、歪んでいくということになりかねないと申しますか、実際にそうなっているのではという観察ができるわけでございまして、知らない、ということが恥にならないのでありましょうかね。
むしろ知らないということが無垢である純粋であるという価値観がどこぞから生まれている可能性もあるわけでございますが、ある意味、管理者側としては制御しやすいという要素であるのではなかろうかという話でもありまして、長期的にはこれは問題が積み重なっていくわけではありますが、短期的には都合が良いという話でもあるのかなとか。
好奇心は猫をも殺すという話でもありますが、むしろ命を対価にしても知りたいという方が結構おられる可能性がありそうであるという話もありまして、いやまあ、下世話なものである可能性もあるのでありますし、世界の神秘というか真の姿というか真実が知りたいというと、これはまあ、控えに発言しても胡散臭いわけでありますが。
じゃあどうすれば良いのかという話になるのかなとか、こう、手に入れることが多少難しい知識を手の届きそうな所においておくとかの調整が必要になるのであろうかとか、いやそれは烏滸がましいのではないのかという意見もございますが、年の若い方々への学習方法というかその提示、やり口としては結構良いものであるのではなかろうかという意見もありそうであり。
そもそも育ててやろう、教育してやろうという思いが、烏滸がましいわけでありまして、なんらそこで遠慮する必要があるのであろうかという話でもあるのかなとか、知りたいと強烈に思い込ませて行動させるそれを止めないようにする環境が、必要ではあるのかなとか、ぼんやり想像しつつおしまいです。
「神様のことを知りたいというのが不敬であるという意見もありますね」
「どうして知りたいのかではなくて知りたいから知りたいのですよ」
「神様を試しても不毛であるという話でもありそうですな”旦那様”
好奇心は育てて良いものという認識が薄れてきているのかもしれませんな”奥様”」




