2063_蟹道楽、ファイトクラブ。
甲殻類まで広げると結構使用することのできる自機の幅が広がるのではなかろうかなとか、いやまあ既にあるものではあるのですが、一時期流行ったような覚えがあるのですがその後どうなったのでしょうかね?今でも熱心にやられている方々もいそうではございますが、昔の趣味を延々と続けているというのも感動的と申しますか、素直に尊敬できるのではなかろうかとかぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
拳で語ろうというのは幼児には普通のことなのでありましょうかね?いやまあ、泣いたほうが負けという話でもあるのかもしれません、ある意味平和なのでありましょうか?勘違いだとは思うわけではありますが。今日も元気可愛いですな。
闘争本能と申しますか狩猟本能と申しますか、対立を成立させる気持ちやら感情やらは、基本備えているものではないかなという予想ができるわけでございまして、ではそれがあることは確かではあるのでありますがどのように付き合っていくのかということが実際に必要になる技術であるのかなとは、容易く連想できるわけでございまして。
捨て身になって殴りかかればこれはもう周囲の抑止力とか関係なくなってしまうという共通の問題は出てくるのであろうかなという話ではございまして、いやまあ、それをさせない、放棄させないように社会を構築する、組み込んでみるという話ではあるのではありますが、確率的にそれに絡め取られない人格もまた存在することは事実であり、それを念頭に置いた構造を構築する必要がある、のであろうかなとか。
ただまあ、その例外を少なくする必要はあり実際にできるようになることは確かであり、つまるところ全体の底上げをしてしまえば、豊かになって仕舞えば、これは発生件数を抑えることができるのではなかろうかという予想がございまして、この辺り、実践してみた結果如実に効果が実感できるような場合も多いのではあるかなとか。
このやり口でよろしいのではなかろうかという話で結論となればよろしいのではありますが、これがこれで問題が結構ございまして、顕著な例としては豊かになった場所とそのために食物になってしまった場所が存在するということであるのかなとか、弱者からの搾取によって強者が豊かになり、そしてその弱者の不満は構造的に遠くへ隔絶させることによって封じ込められてしまっている、もしくは気がつかないようにさせている、誤魔化しているというやり口があるのではなかろうかなとか。
無知であることを強要させて純朴に素直に従うような存在を作り出しておいて社会を安定させておくようなやり口であり、これはこれで実はそれほど間違った方向ではなく、一定の効果は得られるのではありますが、長期的にみると衰退の流れに身を任せることになりかねないわけであり、なんとも悩ましいわけであり。
知恵をつけさせると面倒臭いという話ではあるのではありますが、それは中途半端にするからであり、とことんそれを突き詰めていく学習の深度をこう掘り起こしていくならば必ず安定するところに落ち着くのではありますが、何に置いても問題となるもの、資源の足りなさがここでも出てくるわけであり、如何ともし難いのではと予想するわけでございます。
学習の機会とそれにかかる資源をどのように確保していくのかが群れの行き先をよくしていく発展を助けることの鍵になることは確かではあるのであるけれども時間がかかり、効果がすぐに目に見えないということから避けられる傾向にあるという流れは、これはまあそれほど不自然な流れではなく、そこを考慮してのやり口が必要になるわけでございまして。
では選択と集中によって学習する層や数を制限するべきであるのかというと、これはそのまま格差を助長することになるわけであり、おそらくは不平不満が蓄積されていく、中途半端な知恵と知識に振り回される人数の母数が増えるということになりかねないわけであり、難しい、けれども実際問題として全てに人格に十分な学びを行き渡らせるというのは無理なのではなかろうかという予想もありそうではあり。
本人のやる気の問題であるという話でもあるのかという意見もございますが、それを出させるもしくはそれがなくともなんとかなるような構造を、仕組みを構築する必要があるのではなかろうかという発想はそれほど的外れではないのかなとか、ただ、知識の差による有利不利を利用して、利益を得ようとする発想もまた実のところ学習意欲につながるので否定もできず、この辺り、矛盾があるのであろうかなとか、塩梅が大事になりそうであるかなとかぼんやり連想したあたりで、おしまいです。
「学びなさいと進める宗教は目立ってはいませんね」
「潤沢な資金があればどうにかなる分野は多いですからね」
「神の御心を学ぶのは不敬でるとかもありますな”旦那様”
大体はそうですからね、不経済なのが研究という見方もあります”奥様”」




