2055_虫の本、紙魚が泳ぐ、師。
紙を食べるので天敵ではありますが、昨今電子媒体になっているのであるならば、そこに巣食う虫とはどういうものになるのでありましょうかとなると、やはり伝統的に蛾ということになるのでありましょうか?こう電子機器とか石を食べる物理的な虫が誕生することによって、情報の、歴史の断絶が発生するという話は、結構有名どころがあるような覚えがございます、はい、無駄話ですいつもの。こんにちはゴブリンです。
首っぴきになって本を読んでいるという姿を虫に喩える言い方もありますね、幼児は動画よりもそちらをしている方が安心するようですが、まあ、程度というか比較問題なのでありましょうかね?今日も元気可愛いですな。
乱読は経験としてはよろしくないとか読書の効果としてはいまひとつではなかろうかという意見もありますが、偏らずに満遍なく読むという点では優れているのではなかろうかという話でもありますし、そもそも書を捨てて街へ出るべきであるという派閥もそれなりに古参であるわけであり、如何ともし難い、嘘ですな、どうにでもできるけれども、そうしたくない方がそれなりにいるということでありましょうか?
語るのではなく読めとか言われる話ではあるのかなとか、情報を拡散させるのではなく収集を旨とせよという話であって、どちらにせよいくらか語りたくなるのであるから、それで丁度良い塩梅になるのではでんし予想があるのではなかろうかという話ではありまして、概ねそれで成功している可能性が高いのではと。
話し上手より聞き上手であることが大切であるとか対人関係では優れている資質として表されるものであるのではとかそのような評価があるわけでございますので、一日の発言数を控えてみるとか、数えるほどにしてみるという運動はあっても良いのではなかろうかなという思考がよぎるわけでございますが、それはそれとして、無意味な言葉の羅列に近い文章にも一定の需要があるのではとか。
つまるところ聞き上手であることをするならば、誰かが常に喋り続けている環境がある方が効率的に評価できるわけであり、そうであるならば、上手かどうかは傍に置いておいてただ大量に文章をとうかするような存在に価値を見出すようになるのではなかろうかとか、いや探さなくても、近所に多く落ちているようなものであるのではなかろうかという予想はあるわけでございますが。
その中でも聞きやすい耳を傾けやすい話とか物語があるのであろうかなとか、つまりは、これが相方というか、壁になる、何かを反射することができる、対象になり得るのではなかろうかなという予想が生まれるわけでございまして、ある意味、何かを動かしているという気持ちの相手をしているという満足感が得られるのではなかろうかとか、ただ聞くだけの楽な仕事という言い方もできるのかもしれず。
ただ聞くだけが楽ちんであるという認識は、それは、それを苦痛と思う方の心情を無視したものであるという話でもあるのかなとか、聞くよりは語りたい、承認欲求の塊にみたいな御仁もそれほど珍しいものではなく、であるならば、それを聞いてくれる上手にかなり価値が高まる傾向があるのではという話ではあるわけであり、持ちつ持たれつというよりは、やや、需要と共有の均衡があっていない状況ではなかろうかなとか。
もしくは上手に語ることができる人材の絶対数が少ないので、語るほうの母数が聞く方それよりも大きくなるのではなかろうかなという話でもあり、ただそれは能動的な方が目立つだけではなかろうかという指摘もまた正しくあるのであろうかなとか、大声で喋ると目立つということは、古今東西の真実と申しますか、当たり前ではあるかな、と。
なので、聞き上手という受動的な才能が目立たないのであまり数がいないという印象になっているだけで、実のところ、これだけ語る人がいて、それを受け止めているのであるならば、社会には、その成りてが一定数、必要十分おられる可能性が高いのではなかろうかなという楽観論も生まれそうではございまして。
と申しますか、そうやって、辛抱強く聞いてくれる方が全くいないということでは、語る方もやるせないという話でもあるのかなとか、ただ、そのようなことは全く関係なく、文章やら映像やら物語やら絵画やら創作そのものが楽しいという、発表すらしない、目に止まらなくても良い、まあ、運よく辿り着かれたらそれはそれで面白いという、方々も、一定数存在するのであろうかなという予想がございますな、無駄話でした、おしまいです。
「隠されている方がありがたがるという神様はいますね」
「自ら辿り着くと、色々やりやすくなるという傾向はあります、逆もですが」
「隠神様というか秘められた神様とかですかね”旦那様”
こだわりが強くなるという話ではありますな”奥様”」




