2042_こつこつと仏舎利を集めて巨人。
ついて良い嘘があるということにして、矛盾をそのままにしてしまうことがあるわけでございまして、都合が良いように、配慮してもらうように、雰囲気を作ってしまうわけでございまして、それについて、虚言であるというと指摘してしまうと、品がないと申しますか、空気を読まないと申しますか、粋ではないという、ような意見に押されてしまうようにしてしまうある意味悪癖のようなものが蔓延してしまう環境が出来上がることがあるのではなかろうかなというようなことを連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
慣れてきましたが、客観的に冷静に考えると結構まずいのではなかろうかなという悪戯があったりしますな。今日も元気可愛いですな。
変更することのできない決まりはそれそのものが欠陥品であるという意見もありまして、それではそれをどうすれば良いのかと言うならば、構造そのものその決まりを構築しているものを壊してしまうしかないのではなかろうかなと言う、発想になることはそれほど不自然ではないわけでございますが、これに付随する特性が暴力になってしまうことが結構問題なのであるのではなかろうかなという、予想ができてしまうわけでございました。
結局のところ大多数の意見を反映するしかない改訂方法は、社会の成熟度が上がっていかなければ役に立たない実質不可能であるとみることになるわけでございまして、それを改良するためには、世代の交代に合わせて、認識をすり替えていくしかない、刷新していくしかないのではなかろうかとか、必ず時間のかかるものになるわけでございまして。
その膨大な時間に構造が持たないという欠点があるのではなかろうかという予想もございまして、変化させないことで、強固さを確保しているわけでございますれば、それはまあ変化に間に合わないと申しますか、そもそも矛盾を抱えているわけでございまして、変更することの自由度と、組織のしっかりさとは相反するものである、場合もあるのでしょうかと、連想するわけでございまして。
この辺り、均衡が大切なのでございましょうか、最初の歪みがそのまま長く続いてしまっているというか、方向性が変な方に向いてしまうことになるのではなかろうかという予想と申しますか観察結果が見られるのではなかろうかというわけでございまして、後での修正が難しいというものと、確固とした芯になる理想とは、大体同じ方向になっているのではなかろうかなという、想像ができるわけでございまして。
変わらないということが大切な決まりは、それが変わらないように構造が作られるわけでございまして、しかし環境によってそれを合わせる必要がある場合には、解釈をどうにかして、辻褄を合わせることが必要になるとか、これは正直にいうならば誤魔化しでしかないわけでございまして、評価としては結構みっともないか、もしくは現実的と言われるものになるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
理論を現実は違うのでありますよということでしかないわけでございまして、では、その大元の変えてはいけない決まりはその重みを軽くしてしまうのではなかろうか、という心配が出てくるわけでございます、そもそもその変容することを許さない決まりは、時間の経過とともに重みが少なくなることが普通であり、当然の結果であるわけでございます。
では再度それはどうすればよろしいのかという話になるのではありますが、広くその認識を認知させていくような、共通認識として学習させておくことが必要になるのではなかろうかなという、つまりは、積極的に軽くしていく必要がある、もしくは適度な重さになるように変容させていくことが現実的な解決策につながるのではなかろうかなという。
理想を追い求めていくことはそれはそれで尊いものであるという意見はあるわけでございますが、その行為そのものが理想を遠ざけてしまっているという矛盾があるのであろうかなとか、連想するわけでございます、ただ、そこを蔑ろにしてしまえば、芯を外してしまう、そもそも意味がなくなることもありまして、この辺りは、均衡が難しいのではなかろうかなという予想がございます。
それは結局のところ嘘であり、嘘がいけないことである、価値観がどうにかならなければ、解決は難しいのでなかろうかなという、肯定的に受け取らせることができると、話が進んでいくのではなかろうかなとか、もしくは、客観視と感情との切り離しがある程度進まなければならないのであろうかなとか、大体いつもの連想に落ちたところで、おしまいです。
「嘘もほうべんとか、認められない立場はありますよね」
「法学者とかどう折り合いをつけているのでしょうかね?」
「神様の実在を嘘と言い切ると各方面から避難轟々でしょうな”旦那様”
折り合いがつかないので研究が終わらないとも言えますな”奥様”」




