2040_てるてる、高く吊るせ、干物。
見せしめとしての刑罰はあまり有効ではないのではなかろうかと言う意見もございまして、つまるところ厳罰化と治安の維持やら上昇やらとは相関関係に無いと申しますか、逆に増すのではなかろうかと言う観察がされるのではなかろうかなとか、言われていることもあるようでございまして、罪に対する罰が必要か否かと言う議論は実のところ目新しものではなく現状では、それが有効に機能しているとはいえないが、ないよりは良いのではなかろうかと言う段階ではとかぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
躾というものは必要であるとは予想できるわけでございまして、しかしそれが罰として働くことはこれまた学習的にはどうなのであろうかなとか、意外と便利ではありますが、どこか予想外の方向へと曲がってしまう可能性もありそうではあるかなとか。今日も元気可愛いですね。
そこに娯楽性があるかどうかと言う問題も切り離せないのであろうかなとか予想するわけでございまして、攻撃的な、それも安全な位置から行う不安のないそれは、これはまあ本能的なあれこれと直結して快楽になり得るわけでございまして、根本的なところでどうにかならなければそのまま継続していく特徴と言えるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして。
環境依存、社会依存の快楽であるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、反論を許さない絶対的な正義とその行使という避け難い悦楽とか、心地よさなのであろうかなとか、予想するわけでございまして、自己肯定感を満足させることができるその奥にある生存を安定化させるという本能に近いところに刺激を与えて、幸せに浸ることができる状況なのであるかなとか、なるほどこれはどうして取り除くことやら方向を変えることは、難しいのではなかろうかとか予想するわけでござまして。
快楽を得ることと生存することが等くなる、同じ方向を向くからこそ、群れは生き延びてきたわけでございまして、これを否定してしまうと、結果として存続できなくなるという、最初が肝心であったのであろうかなとか、いやまあ、捕食者としての側面ができた時点での環境要因であるわけでございますので、この辺り、そのように存在してしまったが時からの罪なのであろうかとか。
罪という概念が既に間違っているわけでございまして、それはもう最初からどうしようもない性質であるわけでありまして、そこに名前をつけて、納得しようとした、情報を安定させようとした、構造を誤魔化しでどうにか構築しようとしているのではなかろうかなとか、それはとても不安定ではあるものの、とても自然ではあるのではなかろうかとか思考するわけでございます。
安定することから遠ざかるように遠ざかるように、思考が重なっていくと申しますか、反響していくのであろうかなとか、要は振れ幅、揺れ幅、常に動いていることによって何かが生まれている維持されている、消費されている、そのすれ違いの摩擦やら、矛盾やら、誤解やらを資源として活動する何かが実のところ主体ではなかろかうかなとか予想するわけでございまして。
見立てでございます、それは情報そのものを資源とする生命体であるという、縄張りを持たず人格も持たず、いやまあ、持ってはいるのであろうけれども、それは常に変化し続けているわけであり、連続性を否定している、不連続であることが常態であり、しかし記憶と申しますか、関係性だけは繋がっている、否、その関係性そのものが、本体であるような、なかなか捉えることが難しい、むしろ分からないことがそれを形作っているとか言えるような、言葉遊びに近い生命の見立てなのかもしれないとか思考するわけでございまして。
矛盾やら感情的な衝突やらすれ違いやら、勘違いやら誤解やら、思い込みやら、これはまあなくならないわけであり、その、なくならない理屈やら理由づけに、それが必要な何かが、存在しているのではなかろうかという、予想やら見立ては、それなりに納得がいくものがあるのではなかろうかなとか、いやまあ、結果的にそうなっているだけであり、因果が逆なのではなかろうかという意見もまた正しいわけであり。
逆もまた真なりとかそのような言葉が当てはまるのかどうかはまたよく知らないわけでございますが、正面からだけではなく裏っ側からとか、すかしてとか、斜めからとか、内側からとかそもそも方向すら定まらないあたりから、観察、観測してみることは、これはまあ、結構楽しいことではなかろうかななどと、無駄話が過ぎたあたりでおしまいです。
「不変であるとした瞬間に、ねじれていくのでありましょうね」
「罪を犯さないようにするような環境整備が必要というのは理想ですね」
「頻繁に更新する教義というのも面白そうではありますな”旦那様”
行動にさえ移さないようにする仕組みはできそうではありますな”奥様”」




