2031_ぶぶ漬けを御代わりする客の柿。
作法は共通認識がないと役に立たないわけでありまして、そのまま知らずにおいた方が強烈な個性になることもあるのではなかろうかなという作戦と、ある程度は常識を知っておいた方が対人関係が滑らかになるというやり口があるのではなかろうかとか、大体は、その途中にあるところの何かであるのではなかろうかなとか、予想するわけでございますが、きわめてしまった方が中途半端よりは武器になるのでありましょうか、とかぼんやりと想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
子供には保護者がきちんとその手の内容を知らせておいた方がよいのではなかろうかなという予想はあるのですが、知識が偏っている場合はそれはそれで問題があるのではなかろうかなとか。今日も元気可愛いですな。
以前にも記述しましたが、規則とか流儀とか、その場の振る舞いの決まりとかは、対人関係における資源を効率よく回すために作られたものであり、感情の置き所を構造化したと申しますか、仕組み化したものであり、それをやっておけば、互いに余計な労力を消費することを防ぐことができるだけのものである、のではなかろうかなと予想するわけでございまして。
十分に相互理解が進んでいるならば、そのようなやりとりは必要ないのではなかろうかという予想もできるのではございますが、基本理解というものは、されないものであるので、結果として細々と繰り返しになる決まりきったやりとりが必要になる、のではなかろうかと予想するわけでございます。
費用対効果の問題ではあるのではあるかなとか、礼儀を守る守らないという話ではありますが、敵対する意志はないということを明らかにする方法でしかなく、それが十分されるのであるならば、実のところあまり内容に意味がないのではなかろうかとか予想するわけでございまして、ある意味資源の無駄遣いになりつつある伝統的な何かでもあるのであろうかなとか予想するわけでございます。
文化という面で見るならば保護するべきそれであるかも知れず、それも日常に使用することによって、動態保存が可能になっているのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、ただ、そもそも保存する保護する受け継がれる必要があるかないかという観点から見るに、大体において、それは趣味的なものでしかないのではなかろうかなとか、これまたざっくりと、身も蓋もない予想をするわけでございまして。
作法を覚える、身に着ける、適切に使用するための時間を確保することができた、知識を得ることができたという、豊かさを示すための、ある意味、群れの中での順位付のための技術であるという言い方もできるわけでありまして、余裕の有無を見せることによって、力を示すことになり、意見を通しやすくする、もしくは無駄な諍いを減らす役目がある、のかも知れないと想像するわけでございます。
いやまあ、かなり面倒臭いものではありますが、時間をかければある程度なんとかなることを、しないということは、対人関係を大切にしていない、重視していないというように評価されやすいのでありまして、となると、信用とか信頼とかが得られないという流れになる、のではなかろうかなという理屈があるようでございまして。
ただ、これは別に他人と一緒にいたい群れを維持したい、その必要がある生き物にしか通じない流儀ではあるわけでございまして、別に一人で構わない、むしろ一人が好きであるという場合には、それにかける労力を丸々無視することができるようになり、かなり効率的な生き方になるのではなかろうかという予想もできるわけでございます。
この辺り、どのように進むのかもまた趣味の範囲ではなかろうかなという話ではあるとは思われるわけでございますが、群れの生き物としては異端ではあることには違いなく、脅威として取られられる可能性も結構あるのではなかろうかなとか、予想するわけでございまして、それを踏まえて最低限の常識は必要であるかとか、予想はするわけでございますが、それすらいらないような個性もまた存在することは観察されているわけでございまして。
とどのつまりその程度のもの、群れを効率的に維持するための仕掛けにしかすぎないものに、重きを置きすぎない方が良い場合もあるのではなかろうかなとか、逆に神聖視することによって、他のやっかいごとやら面倒臭いことを回避するやり口もあるかなとか、まあ、極端に走ると面白そうではあるかとか、適当に連想を発散させて、おしまいです。
「宗教儀式はでっち上げでこじつけというものも多いですね」
「礼儀に当てはめねなければいけないほど未熟という言い方もできますね」
「駄洒落みたいな由来はあったりしますな”旦那様”
足りない想像力を補う目的で使ったりはしますな”奥様”」




