2029_垢から生まれる物悲しさからの怪物。
生まれるところを選べないと言うことはあるのではなかろうかなとは予想できるわけでございますが、そこから移動できないわけではないから落ち込むなとか安易に慰めることもまた残酷ではなかろうかとかそのような意見もあるわけでございまして、これはまあ、決まりきった文句は使わない方が良いのではなかろうかとか予想するわけでございます、共通の解決方法はやはり存在せず、その場その場、時々の状況やら環境やらそこに至る歴史やらを考慮しつつ最適解を探していくことになるのではなかろうかなとかぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
ここに生まれてきてよかったと思わせるように行動することもまた大事ではありますな、いやまあ、たまに本当によかったのかどうかとか考えさせてはいけません。今日も元気可愛いですな。
どうしようもないことは確かにあるのであろうかなとか、それは個人の力では無理で集団の力でも無理で、こう世界の法則のようなものがあるとするとそれを覆すことができないのではなかろうかと言う否定的な考えが、無視できないくらい多いのではなかろうかなとは予想できるわけでございまして、となると、早々に諦める必要が出てくるのではなかろうかとかまた予想するわけでございます。
直接的に無理な案件であったとしても、迂回するなりなんなり、もしくは実は綿密な計画を立てて時間を消費すれば改善するようなものであったりすることもあるので、安易に諦めるべきであるとは言い切れないわけではございます。この辺りの見極めを、損を切ることができるかどうかには技術やら経験が必要になってくるのであろうかなとは、想像できるわけでございまして。
現実は虚構より複雑というか奇跡が起こりやすい面もございますので、諦めずに、その道を進んで言った方がよいという場合もございます、作為的に面白く、波瀾万丈にならないといけないという縛りはないわけでございまして、成功し続けて、そのまま幸せなままおしまいになるということはそれほど珍しいことではないわけでございますから、絶望はあまりしない方がよいのかも知れないとは、想像するわけでございます。
逆に大団円を必ず迎えるという保証もまたないわけでございますれば、大体均衡は取れていると言ってよいのかも知れず、基本全体で見ると得もせず損もせずで流れて行っているのではなかろうかなとか、文明の発展を得ととるか損ととるか見方の問題であるかなという予想もあるわけでございますが。
等価交換と申しますか、何かを成した時には何かを消費しているわけでございまして、それは決して立ち戻ることはないわけでございまして、実のところ延命を図るには、消費を抑えるしかないわけでございまして、発展とか進歩とか綺麗な言葉で誤魔化されていますが、大体において、残り時間を少なくしている速度という話ではある、かも知れないわけでございます。
ただ、巨視的な観点から見ると資源はまだかなり沢山残っているように見えるわけでございまして、正しく活用するならば、文明の終焉まで持つのではなかろうかなとか、枯渇によってそれが終わるよりは、他の要因、感情の爆発やら、対話の不足による対立からの実力行使による、環境資源の壊滅やら、生息区域の減少やら、その方が早いのではなかろうかという予想もまた珍しくないわけでございまして。
この辺り、きっちりと意識して全体が、少なくとも過半数以上が知っている状態で、社会が回っていくようにしておかなければならないのではなかろうかなという予想もあるわけでございまして、限られた管理者が強権を持ってして環境を維持するような構造は、かなり脆いものであるのではなかろうかという予想もできるわけでございますれば。
裾野を広げる必要があるのであろうかなとは予想するわけでございまして、その為にも余裕と申しますか、時間稼ぎが必要になってくるのではなかろうかとか、想像するわけでございまして、どこに生まれてもその天才やら才能やら環境に適応できる、そこにそれが存在してほしい物やら者やらモノを正しい位置に配置できる仕組みが必要になるのではなかろうかなとか。
それを正確に予想できる予測できる予知できる技術が無いかあっても精度が低いのである現状、多くのものを拾い上げることのできる構造が必要となるのではなかろうかなとか、ぼんやり連想しつつおしまいです。
「神様が本当に見ているなら良いのですけどもね」
「機会を均等に与えることが正しいかというとそうでも無いという」
「そう見立てて、人が見ているのです”旦那様”
濃淡は必要ではあるかなとは、思いますな”奥様”」




