2024_枡で測って漏瑚で飲む酒が美味い?
酒豪という存在があるそうでございまして、笊とかその上位で箍とか、呼ばれることもあるようでございまして、もしくは蟒蛇でございましょうか?兎にも角にも酒精に強いかもしくは大好きで多く飲むという方々でございますが、まあ、身体には良いわけはないようでございまして、おおむね短命に終わるという印象がございます、程々がよろしいのであるのか、いや全く嗜まない方がよろしいのか、意見の分かれるところではあるかなとかぼんやり想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
子供にお酒は早いという文化はあるようでございますが、清潔な水が少ない地方ではむしろお酒とかお酢とかを飲ませることが多いのではなかろうかなとか、いやまあ、隠れて飲んでしまってこうなっているのは根本的に問題ではございますが。今日も元気可愛いですな。
基本お酒は毒でありまして身体にはよろしくありません、これはどう言い繕っても変わらない事実でありまして、反論の余地はないわけでございます。ではなぜにそのようなものを飲料として、嗜好品としてありがたがるのかと言いますと、単純に美味しいからということもありそうではございますし、酔うという感覚が心地よいということでもあるのではなかろうかなという予想ができるわけでございます。
麻薬と同じようなものであり、本来であるならば、禁じた方が良いのではなかろうかという意見もございますが、それを取り上げるにはあまりにも生活に密着しすぎたと申しますか、歴史が深すぎたということではなかろうかなとか、毒性も急激な悪さをしないという性質が、その接種を助長させている、可能性が高いのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
神聖視をするような文化圏も存在するわけでございまして、特別なもの、尊いものであるという位置づけがなされてしまっているのであろうかなとか、伝統に組み込まれていると申しますか、むしろ中心となって聳え立っているような印象がございまして、今更それが身体には悪いところしかないと言われても、困るというところまで、切羽詰まっているのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
後に引けなくなっているという印象もございまして、この娯楽を前提にして社会が作られているのであるならば、それを安易に停止させてしまうと余計に混乱を招くということであるのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。また、身体には悪いものでありますが、精神的には良いものであるという側面も見え隠れしますので、その辺りも、擁護される要因であるのではなかろうかなとか予想できるわけでございます。
このように悪習であっても、悪徳であっても、なくならないものは世の中に結構あるのではなかろうかなとか観察できるわけでございますが、ではそれはなぜなのであるかなと、いう疑問が浮かんでくるのは自然な流れであり、それに対する答えも、幾許かあったのではなかろうかなとかも予想できるわけでございます。
実のところ生存戦略的には誤差であった時代が長かったので、飲酒は受け入れられてきたという話でもあるのではなかろうかなとか、それによって身体が壊れるよりも先に他の要因で亡くなることが多かったので、長期の摂取による体調不良が問題に現れにくかったのではなかろうかという予想がございまして、酒精の摂取が問題になってきたのは、文明が発達し、医療やら栄養状態の向上によって寿命が伸びたせいではなかろうかなという予想ができるわけでございます。
同時にお酒作りの効率化やら大規模化やら量産化やらのせいで、大量に安く、それらが作られるようになったが故に、結果としてその毒が表面化してきたのではなかろうかなという見方もできるのではなかろうかとか、予想するわけでございまして、ある意味文明病と言えるのではなかろうかという想像に至るわけでございます。
豊かだからこそ、物資を貯めることができるようになったからこそ生まれた毒であり、ある意味余裕の病とも言えるのではなかろうかなとか、であるならば、この病は必然であり、不自然ではなく、おおらかな気持ちで受け入れるべき事象ではなかろうかなとか予想するわけでございます。
飲まなければやっていけないという環境の方をどうにかしたほうがよろしいのではという問いにはご尤もであるとかえすしかないわけでございますが、まあ、おしまいです。
「お酒と宗教は大体切り離せないものではあったのです」
「心地よい飲みは科学で解決できるかもしれません」
「禁じたりする、拝んだり、色々ですな”旦那様”
風情がないという意見も出てきそうではありますな”奥様”」




