2019_億の次は千万となるのは、兆おかしい京。
数の上限というものはあるのであろうか?という問いはそれほど斬新なものではなく、どこかで最後の数字というものが現れるのではなかろうかという幻想は、結構、神秘的なものがあるのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、大体はそれがそこに存在しないという結論が出てしまうような覚えがそこはかとなくあるわけでございまして、しかしもしそのような数字があったなら、どうなるのであろうか?という妄想を繰り広げてしまうと、結構な無駄話になるようでございまして、などとぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
百まで数えられるようになるというのは、進歩であるのではなかろうかなとか、偉いですね、次は千まで数えるのですか?いやまあ、止めませんけれども、お疲れそうです。今日も元気かわいいですな。
範囲を限定すれば、上限に達する数字というものはありそうではありまして、いやそれは何か違うのではなかろうかという話ではありますが、定義の問題にはなるのではなかろうかなとか、実際に存在しない程の数は、それは上限に達したとしていいのではなかろうかという話ではありますが、実のところ最小単位がどうなっているのかという話にもなりそうではございまして。
これ以上小さくすることはできない何かを数えていけば、そのうちに、尽きるのではなかろうかという話ではありまして、ただ、空間を超えてしまって存在する可能性やら、時間の経過とともに増加するのであるならば、これはまた、数え切れないわけでございまして、その瞬間の最高数を数えることができれば、最果ての数、最後の数がわかるのではなかろうかなという予想もできるわけでございますが、次の瞬間にその数が増えている可能性もあったりするわけで、どうにもこうにも。
時間の経過すら観測のうちに入れておいて、さらには多くの、上位の次元にもその目を伸ばして、全て内包するような空間と言いますか、領域の中での数の上限というものを想像するという話になれば、実のところ最後の数はあるのではなかろうかという夢想もできるわけでございますが、概念上の上限はやはり存在しないのではなかろうかという予測もできるわけでございまして。
どのような数字に対しても、加えることができるという状態では、最大数、最後の数字を決定することはできないわけでございまして、それではもう加えることができない数字とは何を意味するのかという話になるわけでございます。変化を拒む数字と申しますか構造的にもう加えることのできない数字といういものは存在するのであろうかなとか、思考をしていくわけでございますが、これが如何にもこうにも、あるとは認識できないのではなかろうかとか予想するわけでございまして。
仮にこの概念を根底に据えて、何か世界線と申しますか、法則を作るのであるならば、もしかすると、増減というものがない領域というものを生み出させてしまわなければならなくなるのではなかろうかなという、話にまで、突き進むのではなかろうかなとか、変化がないと申しますか、何もないところならば、数の上限がはっきりとしていると申しますか、数の概念すらない、数えるということができないよな場所なのではなかろうかなとか。
そうであるならば、最小数と最大数が同じであるならば、数に限界がある、上限があるということになるのではなかろうかとか、妄想が捗るわけでございますが、それは存在すると言って良いのであるかという問題もまた立ち塞がってきているわけでございまして、ただ、概念上あるのではなかろうかという点においては、数に限りがないとする立場とそれほど違いはないのではなかろうか、とか予想するわけでございます。
概念と申しますか想像の限界があるのではなかろうかという話ではありまして、数式の限界があるかどうかという話でもあるのではなかろうかなとか、いやこれが最後の数字であり、これ以上は加えることができないものを、記号か何かで表してしまったとして、それは存在するのかどうかという話でもございまして、さらには、その数字があるとすると、かなりの矛盾を生じるのではなかろうかとか、意外と、そうでもないとか、論争が起こったりしたのであろうかなとか予想するわけでございまして。
おそらくは、そのような論争というか議論は既にかなりやられているのであろうかなとか、予想するわけでございまして、この辺り、興味が湧きましたら、調べてみるのもよろしいかもしれません、無駄話なのでこれ以上は踏み込みませんけども、おしまいです。
「意外と数えられるくらいの先に終末があるという神様はいますね」
「無限の濃度が違うとかなんとか言われそうではあります」
「数えられるのでしょうか?ええと量子系のあれなら瞬時ですかね”旦那様”
数学者というのは純すいに見えます”奥様”」




