2017_斜に構えるって真面目。
基本剣術の構えの見立てであるようでございまして、十分に、注意して、身構えて、とかそのような意味であったようでございます。斜めと言う語句の印象で、まっすぐいかない、捻くれている、皮肉げであるとかの表現に転化したのではなかろうかなと言う意見が、webの記事を斜め読みしてますと見つかりました、そもそも斜めと言う言葉に否定的な意味合いを見出すこともどうなのであろうかなとか、ぼんやり連想したあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
三角形は斜めでできているとかにはなるのでしょうな、確かに上に乗せられないとなると少し困るのかもしれません、積み木遊びで学ぶようなものでしょうか?今日も元気可愛いでうすな。
穿った見方をするとかなんとか、正面からいかないことが悪いことのように言われる可能性もあるのであるかなとか思考が進むわけでございますが、多方面、多角的に物事を観察するとか言ってしまうと、かなり肯定的な流れになるわけでございまして、なるほど、ものも言いようであるのではなかろうかと言う話になるのでございましょうか。
全てのものが直角に交わっている、関係性になっているのであると、これはねじれの力に弱いと言うことになりますので、斜めに筋交を入れることが推奨されたり、そもそも枠自体が、ねじれに強いような形状になったりする、のであるかなとか、であるならば、むしろ構造の肝と申しますか、必須部分であるわけで、斜めであることがなんら否定的な意味を持たないのではなかろうかとか、予想するわけでございます。
がしかし、斜めになっている建材だと縦方向からの力に弱く、容易に倒れてしまう、場合もございますので、ここはまっすぐでなければならない、水平を取らなければならないとなりますと、斜めへの否定的な感情が生まれてしまうのではなかろうかなとか予想するわけでございまして。
さらには、揃っている、整頓されている何かと言うものは、方向が同じであるように置かれていることが多く、その周囲との向きも考慮されるとするなならば、乱雑に斜めになっているものに対して不快感と申しますか、忌避感を抱くのはそれほど不思議なことではないのではなかろうかなとか、つまり斜めの方向が揃っていれば、それは快楽として捉えることができるのであろうかとか予想するわけでございます。
要は、統一性がない、乱数に支配されている空間が落ち着かないと言うことではなかろうかなとか、ただ、乱雑であったとしてもみっちりと隙間なく詰め込まれてしまうと、それほど気にならないと言う感性もございますので、安定性と言うところに関与して、嗜好が決定づけられている、可能性があるのではなかろうかな、とか予想するわけでございまして。
積み上げられることが前提、さらにはそれが崩れにくいと言うことがさらに評価をますのであるならば、斜めになっているものに不安感を抱くことは至極当然であるわけでございまして、その結果、直感に従うが故に、意味のある斜めに対しても、不安感というか低い評価をしてしまう、ことになるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
知らないということで、不当な評価になる事例ではあるのかなとか予想するわけでございますが、そうする方も知らないので、反抗の記号として斜めを選択するというやり口も多そうではございまして、相互に効果が増幅しあい、斜めの印象を、否定的なものに貶めてしまっている、とか見ることもできるのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
では、斜めの復権はいかにすればよろしいのかとか議論が進みそうではございますが、いやまあ、知っている人は知っているわけであり、そもそも復権を望む方がそれほどいるのであろうかなとか、そこまで斜めにこだわっている人格が存在するのであろうかという、根本的な問いが生まれそうではありまして。
また位置情報による相対的な表現であるわけでありますから、定義にもよるのであろうかなとか、特殊な斜めとか独特の斜めとかもありそうでありまして、それらを考慮して、構えを変更する必要があるのであろうかとか、有効な斜めがあることを世間に知らしめる必要があるのであるかとか、いやまあ、角度をつける必要があるものがあることは、実のところ常識の範囲であるのではないか、ではなぜ、否定的な印象が斜めから無くならないのか、正面という言葉、まっすぐという言葉に誠実という連想があることが問題なのであろうかなとか、いやまあ、どうでもよい無駄話ではあるのです、いつものことです、おしまいです。
「斜めに構える神様って結構格好良いですよね?」
「数学的な問題として捉えると斜めって結構楽しいです」
「戦神とかにありそうではありますね”旦那様”
実際専門的に研究されている方も多そうではありますな”奥様”」




