2016_ああああと言う名前は勇者。
名前をつけることは難しいのではなかろうかなというお話ではあるのかな、感性の高い低いがあるのではなかろうか、ふさわしいそのものを表すものが素晴らしいのであるかと言われると、連想的にずれている方が良いこともあり、雰囲気が良いかどうか、時流に合っているかどうかで、評価が分かれるのではなかろうかなとか想像するわけでございまして、語句の響きが問題になるのであろうかなと予想するわけでございますが、多言語とか異文化とかも含めるとこれはさらに選択肢が増えたり減ったりするのであろうかなと、ぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
子供の名前というのは難しいものであるのでありますね、幸い本人は気に入っているようでよろしいです。今日も元気可愛いですな。
名は体を表すと言う言葉があるように、そのような意味で呼ばれていると本人もその気になるという暗示に近い働きがあるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、ですので、肯定的な表現でそれを指し示すと環境が良くなるのではなかろうかなとか予想するわけでございます、つまり名前を良いものに変えることには意味がある、効果的ではなかろうかと言う予想ができるわけでございまして。
否定的な事象を肯定的な意味合いの言葉で置き換えることによって、その印象を変えてしまって、改変を促すわけでございますが、これは臭いものに蓋をすることではなかろうかなと言うやり口にも似ているわけでございまして、やり方やら、周囲の環境次第では悪手になり得るのであるかなと言う予想は、普通にできるわけでございまして。
実際にはあまり悪いことではないむしろ良いことであるのに、言葉の印象が悪ことで、否定的な意味合いに取られてしまって、それを実行できなくなっているあたりに細工するには良い手段ではなかろうかなとか予想するわけでございまして、逆もまたあるわけでございますが、犯罪とかそれに近い行動を可愛く表現して誤魔化すわけでございますね。
格好良く表現すると言うやり口もありまして、侵攻を進撃とか、怒涛の攻めとか、理不尽な犠牲を平和の礎とか、人間関係が凝り固まっていることを、絆とか、まあ、印象操作はあるのであろうかなと予想するわけでございますが、結果として状況が良くなるのであるならば、それは全く問題無いと言うことになるのではなかろうかなとも予想できるわけでございまして。
目的は手段を正当化させる、と言う言葉があるように、一定の理解は得られる可能性が高いのではなかろうかなと予想するわけでございます、手段を選ばないとかも言えそうではございますが、むしろその言葉自体に魅力があるように思えてくるわけでございまして、良い表現を発明したのではなかろうかなと言う予想がございます。
行動そのものは別にそれほど際立ってなにかをしていると言うわけでも、普通より外れているものでもないのでありますが、言い方一つで特別な感じを演出しているというやり口もあるのではなかろうかなとか想像するわけでございまして、一方で、かなり酷いことや凄いこと特殊なことをしているのにも関わらず、普通に見せるような言動もあったりするのではなかろうかなとか予想するわけでございます。
説得力を上げるのではなく、気にされなくなるような、注意をひかないような言動をおこなって、深く静かに実利を得ていくと言うやり口もあるのであろうかなとは予想するわけでございまして、実際のところ、騒いでいる何がしかは、囮であり、真の狙いを隠すと言う意味合いが強いのではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
深く調べずに手に入る情報は、欺瞞であり、囮であり、見せ餌であるのではなかろうかと疑ってかかる必要がある程度あるのではなかろうかなとか予想するわけでございまして、ただそこに中力しすぎてしまうとそのものをそのもののまま表現している、表明しているものを深読みしすぎて、思考が明後日の方向へと進んでしまい、惑わされることもありそうではあるかなとも予想するわけでございます。
つまるところどちらでも良いように行動する必要があるのではなかろうかなと言う予想もできるわけでございまして、嘘でも本当でも、大袈裟でも紛らわしくても、対応できるだけの自力をつけておき、どう転んでも自分の利益が守られるように、危険を避けられるように、動くことが肝要ではなかろうかなとか、安全ではなかろかなとか、予想するわけでございますが、大体その予想の斜め下をいくことが日常であるのではとも想像できるわけで、まあ、諦めが肝心なのかもしれない、と放り投げたあたりでおしまいです。
「神様を疑うことから信仰が始まると言う面はありますね」
「知識は多方面から確認することが大事なのです」
「大体切って捨てれば、道は開けると言う問答もありますな”旦那様”
観測、観察、実験、を繰り返すことは大事でしょうな”奥様”」




