2012_じろう系列、お願い、飽食、そショック。
食べ過ぎ飲み過ぎは身体に悪いということはまあ確かなわけでございまして、適切な量を心がけるようにするべきです、がしかし、十分な栄養を摂れない地域の方々もおられるわけでございまして、そもそも食べられる幸せを噛み締めることは悪いことではないのではなかろうかな、残すよりは食べ切る方が良いのではなかろうかなという想像もできるわけでございまして、いやまあ、用意する量を加減すればよろしいのであるかなとも、連想するわけでございますが、この辺り意外と奥が深いのであろうかとか、深くないのであろうかとかぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
お残しは許しませんという風潮でも現代はないのであろうかなと、まあ、体調を悪くするほどに食べるのは良くないとは思います。好き嫌いも体質がございますからね。この子はそう心配する必要はございませんが、やや悪食かもしれません。今日も元気可愛いですな。
大量に生産して大量に消費する社会であることはそれほど違いはないのではなかろうかという認識であるわけでございますれば、少し均衡が崩れましたら、余ることになるのであろうかなとか予想しているわけでございます、つまるところ食料品があまり値上がりせず、儲けが少ない状態が続いている可能性が高そうでもあるかなという想像がございまして。
市場原理でいうならば、溢れるほどあるならば安くなるので、生産量が減ってきて、ちょうど良いところで落ち着くことになる、のであろうかなとは予想できるわけでございますが、ものが生き物であるとその調整がうまくいかないことがあるのであろうかなとも予想できるわけでございます。
天候不順やら、感染症やらの絡みで減産する事もあれば、逆に消耗することを考えて多めに生産していたらば、予想以上にうまくいきまして、かなりの量ができてしまうという事もあるわけでございます。または、消費先が、これまた、人の感染症の影響で少なくなってしまうという事例も観察されてしまうわけでございまして、この辺り、食糧と市場とのあ流動性と申しますか、均衡を保つのは難しそうに、想像できるわけでございます。
輸送にかかる費用も加味すると、やはり農作物やら酪農製品やらは、消費する方に近いところで生産することが相応しいとなるのですが、規模を大きくして、効率化を図るにはある程度まとまった土地が必要になり、十分にそれを用意できるかというと、これもまた難しいように観察できるわけでございまして、この辺り、市街を形成する時から考えて計画していかなければならないのであろうかなとか、想像するわけでございます。
輸入される食糧が格安であり、自国の産業が衰退する場合もございまして、この辺りは、個人個人の能力やら努力やら経営戦略やらでは対応が難しく、行政やら管理者側に、働きをしてもらわなければならないわけでございまして、その要望はしっかりと、伝えて、影響をもてるようにするべきであり、当然政治力が必要になる、ことも確かであるのであろうかなと予想するわけでございます。
生産者に政治力を求める必要がございますが、学習の方向性がこれはまた違ってきているのでありますから、それようの人材を揃える必要があるのではなかろうかなという予想もできるわけでございます、作る人と政をする人を分ける、分業するということであるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
もちろん双方がそれぞれを全く知らないで共に歩むようにできるかというと、これはちょっと難しいのではなかろうかなという予想もできますので、完全に分断するのではなく、相互理解を深めていきまして、基礎的な学習はしておく必要がある、のではなかろうかなという予想もできるわけでございます。
現状そのようになっているかと言いますと、結構うまく回っている箇所とそうではない箇所とありそうな印象でございますが、まあ、この辺りは領分を弁えると申しますか、領域を侵犯されることを恐れている面もございますので普通のことではなかろうかなとか、これまた想像するわけでございます。
この辺りの領分を横断するような人材がいくらか必要ではなかろうかなという想像もできるわけでございますが、問題はそのような方々があまり評価されない可能性があるのではなかろうかな、という予想もあり、やはり客観的に正確に、仕事を評価するような構造がきちんとできることが、物事の肝になるのではなかろうかとか、連想を発散させて、おしまいです。
「ひもじいことはよろしくないわけです、まずはそこをどうにかするが、基本ですね」
「高い制御が可能な食糧生産のやり方をさらに模索していくべきではありますね」
「空腹と寒さと眠さはまず解決しなければならない問題ですな”旦那様”
その一端での昆虫食ならまあよろしいような気がしますな”奥様”」




