20_あまのじゃくる。
必ず言われたことの真逆をする人というのは、ある意味一本筋が通っている気持ちの良い人格と言えないこともないかもしれないとか、思うことはありませんか?
キャラが立っているという意味かもしれません。現実にはそういそうにはありませんが、他の人とは違う意見を言うことで、おっとそういう考えはなかった、と新しい気づきを、商売にしている人はいそうですね、というか、いますね。
エッセイを書いているとか、ハウツー本を売るために、それは本当ですか?という内容を言ってみるとか、駅売の新聞にセンセーショナルなタイトルをつけるとか。そういう、逆をついて、驚かせて、振り向かせるという、戦法は、確かにあるような気がします。
純粋に、全て逆になるように生きるのは、なんとも難しそうです。そのような状況で生き残るということは、周囲の指示の全て逆に聞いているということは、最初の指示がよほどまずいものであった可能性も高いということがあり得るからですね。
つまり、周囲全てから、悪意を向けられている存在であった?という可能性があるのでしょうね。本当のそうだったのかどうかは、わかりませんけれども。
例えば、生きてください、という頼みを聞いたら、天邪鬼なら死んでやるよ、ということになるわけですから、存在しているということは、周囲からいなくなってくださいと言われていた可能性が高いわけですね。
逆境の中にあるから、天邪鬼になったのか、逆らっているばかりいたから、周囲から疎まれていたのか?どちらかわ分かりませんけれど、どちらもありそうな話です。
憎まれっ子世にはばかるという言葉があるということは、善意を向けられていたり、周囲に向けている人間は、世の中でひっそりとしているとか、そうそうに退場していたりしているのかもしれませんね。つまるところ、素直で、相手の言うことばかり聞いていると、いつの間にか消えている、もしくは、舞台の上から降りてしまっている、という状況になっているのかもしれません。
利益を得るために、その対象が邪魔になって、策略を持って、排除する。ならば、その対象は素直で善良な対象であるに越したことはなく、つまるところ、憎まれるくらいにひねくれているものは、そのような、誘導にはまらなくて、生き延びる?のかもしれませんね。
つまるところ、適度に周囲の状況の逆を行く必要があるのかもしれません。そもそも合理的な行動をしているのか、大きな流れに誘導されているのか、わからないのであるから、全員が全員同じ方向へ行くと、そのまま全ていなくなってしまうかもしれないから、集団の一定数は逆い行ったり、他の方向へ行く必要があるから、そうするのかもしれませんね。
逆ですかね?一定数の人数が、別の方向へ進んでいたから、集団としての、種族としての生き物が、生き残っているのでしょうかね?それほど、間違った発想ではないように思いますし、おそらくどこかに同じような、意見もあるでしょうね。
好悪でいうと、結構な確率で悪感情を抱きそうになる、ひねくれた天邪鬼ですが、反対のことをすることを見越して、行動を誘導する、というか、間抜けに見えるほどの、ある意味素直な性格に見えると、好ましいいじられキャラになるのかもしれません。
天邪鬼だからな、という立ち位置で、その身を案じて、下がっているように指示したり、困難に付き合うこともない、という感じの台詞に対して、ニヒルに笑ながら、一緒に付き合うみたいなシュチュエーションは好きな人も多いのかもしれません。
ようは、悪意の有無なのでしょうが、天邪鬼な人間と善意の塊という組み合わせは、現実には難しいのでしょうね。というか、現実にはずっと天邪鬼な人っているのでしょうかね?自分の利益を確保するための、スタイルとしてポーズにしているのかも知れません。
「数名の生徒が無意味に反抗するんですよ」
指導力が無い、ということでは無いのでしょうか?




