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1997/2617

1997_蚊切りの私、座頭鯨位置の座標。

 本来の道具を使用すればもっと簡単に結果が出せるのですが、わざと職人芸を見せつけるやり口は、感心する場合と、外連味が強すぎて胸焼けを起こすことがあるのではなかろうかなと想像するわけではあります、同じようになんらかな紹介文やら映像もわざとらしすぎると途端に冷めるということはありそうではあるかなと連想したところから始まる今日のゴブリンでございます。


 幼児の、まあなんということでしょう、とか、大袈裟な身振り手振りの主張は、これはまあ、可愛らしく滑稽ではありますが、稀に本当に洒落にならないことを告げようとすることがあるので注意が必要ですね。今日も元気可愛いですな。


 その悲劇を繰り返したくないのであるならば、感情に訴えるだけではなく具体的な対策を講じるべきであるのではという意見は正しいわけでございますが、その資源を確保するために多数を味方につける必要があるわけであり、戦略とか戦術としては、広報に力を入れるのは間違いではなく、要はどれだけの効果を見込めるのかを計算して行う必要があるということではなかろうかなとか。


 被害が大きかった、それは誰が悪かったのか、ではなく、何が不味かったのかというところで論戦やら観察やら評価やら調査やらをしなければならないのであろうかなと、危険な位置に住宅を建てることの危険性を、市場側がもう少し語っていたならば、その結果は違っていたのではなかろうかという話もありそうではあり、儲け主義の失敗であったのではなかろうか、資本主義経済の悪い面ではあるのであろうかなとは、想像できるわけでございまして。


 しかし、その危険性を個人の責任であるというところに貶めてしまった場合、これはこれで市場の流動性が少なくなってしまうのであろうかなとか、危険があるので買われないという話であり、であるならば、できるだけ客観的で、権威のある裏付けが必要になってくるのであろうかな、と予想できるわけであり、その力の及ぶ範囲が少なかったのであろうかな、とか、まあ、基本、楽観が過ぎたのであろうかと予想するわけでございます。


 危機を煽って儲けようとするとみられる場合もあったのであろうかなとも想像でき、大袈裟である、そこまで被害が出るはずがない、嘘をついているという、否定的な印象の流れが造られてしまったが故に、根本的な対策が遅れてしまっていくという、話でもあったのではなかろうかな、とか想像するわけであり、人は集団になるとかなり愚かになるという、ことではあるのであろうかなとも、想像するわけでございます。


 危ない土地には住まないようにする、もしくは危険性があることを知った上で、その対策をとりつつ、住居に充てるという、これはまあ、それほど珍しくない話ではあり、昨今の事情からみるに、海沿いに家屋、公共の施設を建築する危険性は大きくなっている、のではなかろうかなと、予想するわけではございますが、意外と既に、喉元を過ぎているので、熱さを忘れている感じでもあるのではなかろうかなとも想像できるわけでございます。


 貧しいので危険なところにしか住めないという、どうにも差し迫った原因がある方も多そうではありまして、ここに自己責任論とかを放り込むと、社会全体の脆弱性を上げてしまう恐れか出てくるわけであり、補償やら保護やらが必要になるのではなかろうかなとか、想像するわけではありますが、不公平であるかどうかを判断することが結構難しいのではなかろうかなともまた想像できるわけでございます。


 自分自身で生き残るための努力と申しますか方策を立てて学習しなければならないことはこれは確かではありまして、そのための学習する場を用意することで、危機に瀕する個人を減らすことによって、全体への余裕を作り出すことが、大まかな作戦なのではなかろうかなとか予想するわけでございます、ただ、その学習内容が、直接的ではなく、間接的に、教養を押し上げることから始めているように見えるが故に、もどかしく感じる層もおられるのであろうかなとは、想像できるわけでございます。


 具体的になり過ぎてしまうと、応用が効かず更には、状況による判断基準を事細かに伝えなければならなくなり、曖昧模糊とした膨大な決まりを、頭に入れることができず、結果として、十分な情報が行き渡らない場合がありそうであり、であるならば、基本、抽象的なものを学習してもらい、各自に正しい判断をしてもらうようにすることが寛容にはなるのかなとか、予想するわけでございますが、想像力を同時に育てなければ、やはり問題解決には至らないのであろうかななどと、ぼんやり連想しつつ、おしまいです。


「三月十一日は、大津波の日でしたっけかね、お悔やみを申し上げます」

「科学の敗北とか言い切れる日でもありますね、追悼の意を表します」

「次はうまくやります、と強気なセリフが頼もしいと思います、

 同じ失敗をしませんように、ですな”旦那様””奥様”」

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