1994_側にいるよ、くるよ、背後をとるよ。
間合いは大事ではあるのではなかろうかな、とどのつまり対人関係というものは適度な距離感であることに尽きるという話でもあるのではなかろうかと、近すぎてもいけないし遠すぎてもいけない、わけでもなく、状況と環境と歴史的背景から距離を瞬時に把握して、適切に保つ必要があるのではなかろうかという話でもあるのではないかと、最後には完全に離れてしまうことは確かではあるので、いつそうするかという問題でもあるのではなかろうかなとか、想像しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
いつにも増してぴったりとくっついてきますね、何か不安なことでもあったのでしょうか、単純に寒いだけと、なるほど、寒暖の差が激しいですからね。今日も元気可愛いですな。
把握できないくらいに遠くにいると、今どうなっているのかわからなくて不安になるけれども、逐一視界に入ると鬱陶しいという状況はそれほど珍しいものではなく、要は気の持ちようであるのかとなるか、遠方でも影響が強いという感じがあることが負担になるのであろうかなと予想するわけであり、文化の違いがそれを助長する可能性が大きいわけで。
生まれ育ってきた環境が違うので価値観が違うという話はまあ、よく聞く話ではあるけれどもよくよく考えると、形状やら生き方やら、熱量の摂取方法やら、環境やらは、それほどの大きな違いはなく、少なくとも惑星上の環境差には収まっているのであるから、それは総じて気にしすぎであると言えなくもなく、些細なものであるという、比較の対象が小さすぎることが問題なのではなかろうかなとか予想するわけであり。
ただ、その些細な差が気になるというか、貧富やら幸不幸の差として感じられるのであるから、無視はできないのであるという流れなのであろうかな、と、快不快の問題でもあるのかもしれないですが、数度の気温差や湿度差で左右される軟弱な生き物であるとかなんとか、むしろ頑丈な方ではあるので、神経質すぎるという話もありそうではございますが。
つまるところ比較対象が適切ではないから発生する無駄な葛藤があるのではなかろうかという予想であり、とことん上を見るか、下を見るかではなく、広く俯瞰する必要があるのではなかろうか、精神の安定というか、幸せを掴むには、些細なことを気にしないことが必要なのかもしれない、とかなんとか、宇宙の広さに比べたら、とか真顔で言い放ってしまうと、人間性を疑われる世の中が悪いのであろうかななどと、連想してしまうわけで。
比較の基準を大きくしてしまいすぎると、無力感に襲われて、生きる気力をなくするか、刹那的な快楽に走るようになる、場合もあるのではなかろうかな、と予想もできるわけでございますので、この辺りには、塩梅が必要になるのであろうかなともまた、予想できるわけでございまして、実際はこの辺りをうまく行ったり来たりしなから、生きている人格が多勢を占めていると予想できるわけであり、極端な方は少ない、と予想しているわけでございます。
わずかでも優位な方の人格が、不利な方の人格に対して些細な差であると言い放ってしまうと不満が噴き出す恐れがあるわけでありますが、社会的環境的に不利な方面の人格が言い放って仕舞えば、これはこれで開き直りと捉えられてしまうかもしれませんが、やり口によっては高く評価される、人格者であると言われる場合もあるという、歴史的な観測結果があるように思えるわけでございまして。
些細なことであるならば、分け与えても良いであろうという発想が、また、富んだ方々には恐ろしいのではなかろうかなと、手に入れたものを手放したくないという強欲は確かにあるとは思うのでありますが、不安から貯めて蓄えてしまいたいという気持ちが強くなるのであろうかなと、富を手に入れた過程に運が絡んでいるのであるならば、悪運で失うこともまたあり得るので、それに対する備えとして、抱え込む、のであろうかなとか予想できるわけであり、それが、持たざるものにとっては、吝嗇であるとか、強欲であるとか映る場合もありそうではあるかなとか、予想するわけでございます。
莫大な資源を個人の思惑だけで動かす危険性は確かに高いわけであり、そこに管理者がわからの誘導やら指示やらが入ることはそれほど不思議ではないけれども、個人資産を認めてしまっている構造では、甚だ違法性が見えてくるという難しい問題があり、結局のところ、それを持つものの道徳やら、知識やらに期待するしかない、のであるならば、きっちりと学習を深めていくか、自ら相談をしてもらうように社会構造を変革させなければならない、ただ、共産主義は既に破綻することが明らかであるので、それ以外でというちょっと難しい問題であるように見えて、実は単純なのではなかろうかなとか、連想を発散させたところでおしまいです。
「富めるものは分け与えなければならない、は、まあ詭弁ではあるんですよね」
「完璧な社会体制とか構造はあり得ないので、冗長性を持たせる話ではあります」
「宗教的な権威をどうかわすのかという無駄なエネルギーが生まれますな”旦那様”
変化を許容する余地をどれだけ残せるのかという話ではありそうですな”奥様”」




