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1991/2616

1991_チャ速でお送りいたします、小戸宅詩。

 会話をするときの状況とか、道具とかの影響で独特の文化が生まれることはよくありそうなものでありまして、文章だけで会話をするとかになると、かなり対応に時間差ができるのでありますから、それを見越して、すれ違う会話を楽しむ余裕が欲しくなるのではなかろうかなとかなんとか、ただの無駄話で良いのであるならば、実のところ会話が成立していなくとも良いのではなかろうかなどとぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。


 自分が喋ったという行為そのものに価値を見出すわけではありますね、内容とか反応は、聞いているというそれだけで良いのかもしれないという、ということでいやなんの話なのでしょうか?今日も元気可愛いですな。


 発したいという気持ちと反応されたいという気持ちとどちらかがあれば、対話というか発言は作られるのであろうかなとか、明確にその動機を自らが知っているわけではないけれどもその方向性は発言時にある程度見て取れる、のかもしれないとか、目立ちたいだけであるとかとにかく早く発言しなければならないとか、流行に乗り遅れないようにしなければとか、最初に言ったことにしたいとか、まあ、その辺りの欲求があるのであろうかな。


 誰が最初に発言したのかで優位さを得ようという話ではあるのであろうかな、震源地になりたいのであるかとか、いやそれを横取りしてまで欲しいという話でもあるのかもしれないけれども大体はそうはうまくいかず、曖昧というか、不完全な情報を流してしまって、後で悔やむことになる、場合もありそうであり、そして発言は取り消せないという、状況に昨今はなりやすいわけであり。


 となるともう少し言葉に気をつけるようになるのではなかろうかなとは予想できるのでありますが、悪意がなければ止まらないという場合はこれはありそうであり、正直であることが美徳であるという学習結果が、奇妙な怪物を産んでしまうという可能性もありそうではあるかなとか、この怪物は私が作ったとか、歪な達成感を得られてしまう場合もありそうではあり、それを趣味にしている方も、いないことはないのではなかろうかなとか。


 他人に迷惑をかけることが楽しいという方は、一定数存在するのであろうかなとは思うわけであり、それはなぜかというと、面白いからであるのであろうかなと、こう、偉い、偉ぶっている、権威のある、もしくは体制側への反抗とか、その辺りが痛快であるのであろうかな、と予想するわけでございまして、個人の鬱屈とした感情の発露であるのではなかろうかなとか、八つ当たりに近いのか、もしくは完璧とするものがあると壊したくなるような感情なのであろうかと、予想するわけでございまして。


 成功しているものが妬ましいという気持ちもあるのかもしれず、または、きちんと収まっているものが気持ちわるという感情かもしれず、脆弱性を見つけてしまったのでついてみたくなったという、好奇心というか、自分だけが知っている裏技を使ってみたくなるとか、そのような感覚なのかもしれないという、基本、個々の善意に裏付けられてきた、構造をそれを無視することで、痛快な結果が得られるのではなかろうかなという発想であるのかな、とか予想したりもします。


 単純に悪いことが楽しいということかもしれないわけであり、秩序だって、上位のものの言うこと聞くことが格好悪いことであると言う、若者文化とか、ひねくれ文化とか、反骨心文化があるのではなかろうかなとか、こう、上部だけの良い言葉やら行為に、でも実際はもっと汚いよなと、突きつけてみたくなるような欲求なのであろうかなとか、取り繕うものが如何にもこうにも、誠実ではないように見えてしまうからこその、行為なのかもしれない、とか、まあ、人間性の確認をして、安心したいという欲求もまた、悪戯心の根底にあるのかもしれないとか、連想してしまうわけでありまして。


 ただ、その反骨心は同時に新たな地平を開く、開拓するための原動力ともなるわけであり、方向によっては、有益な結果を導き出すこともあるものであることは、歴史が証明している、のではなかろうかな、とか、いやただたんに暴走した結果、社会の脆弱性が明らかになって、構造の変化を促しただけである、とか、色々と言えそうではあるかな、どちらにせよ、若者とか、弱者の暴走によって、なんらかの変化が発生することは、それほど珍しいものではなく、それをどう利用するのかが、管理者側の手腕によるところになる、のかもしれないと、想像するわけでございます。


 完全に否定する必要はないので、うまく付き合っていく必要があるのであろうかなとか、ぼんやり想像しつつ、おしまいです。


「神に叛逆することから自立が始まるような流れもありますね」

「想像力を学習によって高める必要がありそうではありますね」

「立ち向かう対象としての神様というのもありそうではありますな”旦那様”

 立ち止まって考えるということを誰も知らせないのでしょうかな”奥様”」

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