1988_タマのようなまんまる、車屋お寿司。
食道楽は押し並べて罪がないと言えるのであろうかなとか、いや、殺生を伴うのであるからしてかなりの罪であるとか、そうではなく菜食主義であるならば救われるのであろうかとか、植物は生き物ではないのか、とか、微生物とかは無意識にしいているのではとか、思考を深めていくとどつぼにはまりそうな話題ではあるのであるけれども、まあ、生きているだけで罪であるとか言い切ってしまったお方もいるようであるので、気にする必要もないのではなかろうかなとか、ぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
罪のない笑顔ではあるのですよね、いや、笑っている場合かという話でもあるのですが、はいはい、お片付けしましょうね。今日も元気可愛いですな。
こおろぎを食べることにしませんかという話が、どこぞの界隈で流行っているらしいのではありますが、なんですね、あれはあんまり美味しくない上に、育てるのにも苦労が大きいようでありまして、むしろ大豆でよろしいのではないかという話すら出てくるわけでございまして、成長が早いのでよろしいという意見もあるようではありますが、量が足りないでしょうというお話もあり、まあ、夢物語の範疇ではなかろうかなとかそういう話でありそうでございまして。
お肉が必要であるならば、くじらを養殖すればよろしいのではなかろうかというお話もございまして、昨今は近年ほど目くじらを立てる方も少なくなったように見えますので、意外と現実的ではなかろうかなとか、海洋においてなんらかの養殖を牧場めいたやり口ですることはかなりよろしい発想ではなかろうかなとか、想像するわけでございます。
資源を消費しないようにしていくこともまた大切であるという意見もあるわけでございまして、無駄をなくすべきであるという話になっていくわけではございますが、遺棄される食料は現状でもかなり少ないというお話もあるようでございまして、見た目の話題だけを求めて騒ぎを大きくしている可能性もありそうではあるかなとか、勿体無い精神は大事ではあるのですが、現実的な話ではないという、そこで無駄をなくしても元々それが少なかったので、効果が薄いという話なのでありましょうかね、とか。
一度無駄をなくしたのであるならば、残ったものは必要であるわけでございまして、それをさらに削っていっても、不具合が発生するだけで何もない、と申しますか、さらに悪くなるだけでございまして、効率化をうんぬんというのであるならば、むしろ無駄なことを増やした方が、回り回って効果的であったという話にもなっていくわけであり。
それは無駄ではなくしっかりした準備であったという話であるのではなかろうかなとか、冗長性というものかも知れませんがそれ以前に、丁寧な仕事というものは、一見無駄に見えるというお話なのかも知れないわけでございまして、これが結構見極めが難しく、長く経験を積んでいなければ判別できない、ものなのかも知れないとか思考するわけでございます。
ただそのあたりを数値化して、高度な観察機器とか精密に計測できる機器とかで自動化を進めることができれば、これは結構な効率化になるのではなかろうかなとか、人に依存しなくなるということは、安定するということであるわけで、そしてその流れは進んできているのであるかな、と、職人芸が必要になくなってきている未来こそ、求められているのではなかろうかな、いや、趣味の世界ではまた違うのであろうなぁとか。
その趣味の世界と人口知能の組み合わせは結構よろしいものがあるようでございまして、ある意味失敗しても良いので、たくさん生み出せる方が有利という分野では、これはまあ、敵わないものがあるのであろうかなとか、そういう意見も多そうではございますし、実際に見てとれるものがあったりするわけでございます。
この辺り、どうやってそれらの技術やら科学やらと付き合っていくのかを、学習する課程が必要になるのではなかろうかなとか、心構えみたいなものでありましょうか?技術道徳のような分野になるのではなかろうかなとか、折り合いの付け方とか、誠実さとはとか、向き合い方とか、多分に内面に踏み込んだ内容になるかも知れませんが、法律とかの学習も並行して行うべきであるのではなかろうかなとか。
忌避感を減少させる必要があるのではなかろうかとは思い至るわけではございますが、機会が苦手という意識を無くしていくような流れは必要になるのであるのであるかな、もしくは気がついていないところで認識の変化が行われている、可能性も高そうではあるな、などと取り止めもないような連想が発散したあたりで、おしまいです。
「機械を神様として崇めてみるというムーブもありますね」
「鯨肉って、あまり美味しいイメージがないです」
「サーバーに神棚を備えるみたいな話は結構ありますな”旦那様”
調理次第ではかなり使える食材ですよ”奥様”」




