1971_てろめあろまえ、平たい顔、ふたつで十分。
記録として残っているだけでは永遠ではないけれども、物語として残っていると、それはそうでもないのではなかろうかとか、自伝というのもまた少し違うわけであり、役所、やくどころ、それを演じていたということであるのか、それが一つの人生であるというのか、ずっと残るということで、生き続けているような、空に輝く星となるような、なんとか、ぼんやりと思考をぼやかしながら始まる今日のゴブリンでございます。
遠い未来にはいなくなるのであるから今を大事にしようという話でもあるのかなとか、いやまあ、ですので、理不尽には起こりません、ただ叱ります、それは危ないのでやめてください。今日も元気可愛いですね。
それをそのまま記録しただけでは永続性を感じさせないという話ではなかろうかなとか、生きた情報が、物語がほしいのであろうかな、それが架空の産物であったとしても、十分足跡になるというか、そのまま、生き生きと繋げられていく何かであるのではなかろうかとか、むしろ、虚構な方が長生きするのではなかろうかとか。
特徴だけが生き残るという話でもあるのかもしれないとか、概念というのでありましょうか、歴史上の偉人と呼ばれる方々が、その目立つところだけを切り取って生き延びていくような感じであるのかなとか、であるならば、純粋な記録には価値がないのであろうかというとそうでもなく、それはそれとして貴重なものであり、正確である、時代を反映しているという大切な見方ができるものであるのであろうかなとか。
そもそも残りたくないという感性の方も多いのではなかろうかなとか、恥ずかしいので忘れてほしいという、どこぞの文言ではありませんが、恥ずかしいばかりの人生を送ってきましたとかなんとかそのような感じでありまして、ただ、本当に恥ずかしいのであるならば、自ら公開しないわけであり、それはそれで虚構よりなのであろうかなとか。
縁の下の力持ちは、いつかそこを覗いてくれる方がいるかもしれないから、それをやっているのであり、本当に注目されたくないのであるならば、何もしない方が良いのではないかという意見もありそうではあり、ただ、本当に何もしなければしないで、目立つので右に倣ってそこそこ何かを成して埋没することが好みであるという方が、静かな人なのではなかろうかなとか、本当の恥ずかしがり屋なのではなかろうかとか。
そこのところがどうにもならず、どうにかして目立ってしまうという方もまた普通に存在するわけであり、多分に運の要素が絡んでくるのであろうかなとか、ただ、傾向とかは見て取れるわけであり、ある程度、仕様があるのであろうかなとか、決まった型が、時代によって偏移するではありましょうが、あるのであろうかなとか。
そもそも遠い未来においては自由自在に過去の情報を引き出せる機会やら構造やら仕組みやら技術やらが確立している可能性があるわけでございまして、どのように隠しても目立たないようにしても白日の元のにさられる可能性は皆無とは言えないわけであり、であるならば、それほど隠すこともないのであろうかなとか、いや、隠そうとした行為こそに意味があるのであり、そっとしておいてほしいという意識の現れというか、意見の提示であるのであろうかなとか。
そこを本人やその周囲の方々がもう文句を言ってこないからと言って、無遠慮に公開するのはどうなのであろうかなという意見も、これはまあ、普通の話ではあるわけでございまして、この辺り、ある程度、傍若無人でなければ歴史学者とかはやってられないという話なのであろうかなとか、それはそれ、これはこれで、切り分けて考えているのであろうかなとか、予想するわけでございます。
逆にそこができない、情に熱い方が歴史的な何かを、その人物の恥部として発見してしまった場合、闇に葬っている可能性もあるかなとか、これは、損失ではあるけれども、物語としては美しい流れではあるかなぁとか、想像するわけでございまして、いやまあ、今でも血筋的に権威が続いているような環境がありましたら、十分あり得ることではあるのでありましょうか?
やんごとなき人物のご先祖様が何かをやらかしていたということを、公表されることを防ぐ物語とかは、結構定番なものではあるかなとか、いやまあ、そこまでして研究を進める必要があるのかという問題とは、また別の話ではあるのかなとか、好奇心は何者にも勝るのであるという生き物は、これは存在するのであろうなぁとか、連想を発散させて、おしまいです。
「神の奇跡は詐欺だったとか詐術だったとかは、掘り起こされたくはないでしょうね」
「真実を公表することが利益に繋がる職種ではあるんですよね学者さんは」
「わかっている上で、救われる人がいたというスタンスがよろしいかと”旦那様”
それも金銭とか、名誉欲ではなく、語りたいだけということもありますな”奥様”」




