1960_徳を積む、罪を数える、低い利子。
積んだ善行に利子がつくならば、それが、低い利回りであるような状況では、借りを作った方が得になるのではなかろうかなとか、環境が、悪徳とか罪とか罪禍とかへの利率が低いのであるならば、これはまあ、そちらに走ったほうが自然であるのかもしれないわけであり、この辺りを調整することで健全な社会活動を促せるのではなかろうかなとかぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
良いことをした後にその報酬を少しずつ上げることで環境を改善していくやり口は、子育てに似ているのでありましょうかね?今日も元気可愛いですな。
罪やら悪やら、そのような行動に対して罰を与えるようなやり口で、その行為を抑制することができるのではなかろうかという意見は古くからあるわけでございまして、そもそもはそういう発想ではなく、やってはいけないことをした人を物理的に取り除くことで、平穏を守ろうとした、のではなかろうかなとか。
そのことを自分に置き換えることができるようになったので、罰の意味合いが変化してきたとかなんとかであるのであろうな、とか、まあ、それほど難しい話ではないわけでございまして、であるならば、その罰の内容は、広く周知するべきではなかろうかなとか、予想するわけでございますが、そのこと自体を知らせることが禁忌というか、場にそぐわないような風潮ができてしまい、なされていないのではなかろうかなとか。
何が法に触れるのか、そして、間違ってしまった場合の罰はどのようになるのかの、流れを広報しておくことは、社会維持に役立つのではなかろうかなとか、脅しではないかと言われると、本質的には決まりというものはそうであるわけで、これを守らなければ不利益がありますよ、は、それほど変な話ではないわけでございまして。
自分にどんな得があるのですか、という質問が出てきそうではありますが、短期的に直接的に返ってくるものではないですよという、話になりそうではあります、つまるところ社会性と申しますか、想像力を育てていくことも並行して行わなければ、単なる権力側、管理者側からの一方的な脅しと、捉えられて、遵守する方向へといかない、場合があるのであろうかなとか。
説明を最後まで聞いて、その内容を吟味できるくらいの教養が必要になる、のであろうかなとか、もちろん、騙してくるようなものもありますので、その見極めのためにも、知識やら思考方法やらの下支えが必要になり、それの学習を義務とするべきであるのであろうかなとか、民主主義と申しますか、集団で生活するための必須技能と呼べるのではなかろうかなとか。
どうしてもそこまでの能力が身につかない、技術の習得が難しい方が一定数存在することも確かなのではなかろうかなという予想もできるわけでありまして、大体は環境に依存するわけでありますが、であるならば、それらが少なくなる、過半数を割るようにするよう動くべきなのであろうかなとか、あとは、それら、短絡的に、暴力的に振る舞う輩に権力を持たせないような仕組みを作るべきなのであろうかなとか、連想するわけであり、一定の効果があるのが選挙などに代表されるやり方なのであろうかなとか。
ただ、そのように環境やら行政やら管理やら、思考し行動することによる資源の消費は結構なものであり、全ての人がそれをしてられないと、と言いますか、してしまったらば、資源の採掘やら生産が止まってしまうので、ある程度のところからは、専門家に投げてしまうことにすると、効率的である、ようでございまして、この辺りの線引きがまた芸術的と言える感性を必要とする技術ではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
また、そのような先を見据えた、とか、回り回って善行が自分の得になるという想像力を育てるには、意識させてはいけないのではなかろうかなとも予想できるわけであり、自分でたどり着いたと錯覚させるような、率いる側も特段意識しない領域で変質させてしまわなければならないのではなかろうかなという予想もあるわけでございます。
人は結構反発しますので、そしてそれは、生き残るためのやり口でありますので、無くならない性質であるようでございますれば、そこを反応させないように立ち回るように、構造を構成することが必要になるのではなかろうかなとか、例えば、善行の利子を上げるみたいな感覚でありましょうか?どうなのでしょうかね?おしまいです。
「良いことをすると自分に返ってくると期待することを咎める宗教もありますね」
「心理学の分野になるのでしょうね」
「善行の利子を低くして蔓延させたいのでしょうかね?”旦那様”
社会心理学とかでしょうかね?集団心理学かもしれませんが”奥様”」




