1959_中くらいを選択する幸せなお得。
価値の高いものと低いものとその真ん中くらいのものを用意しておくと、結構な確率で真ん中のものが選ばれるとかなんとか、観察できるような気がするわけでございますが、大きなつづらと小さなつづらの他に、中くらいのつづらがあったなら、それを選択したのであろうかなとか、遠慮するのであるならば、やはり小さなものを選ぶであろうし、欲張りならば大きいのを選ぶのであるなら、あまり意味がないのであろうか、とかなんとかぼんやりと連想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
欲張りなのかもしれませんし、そうでないのかもしれない、気分によってそれが変化することが普通なのでありましょうかね、まあ、持て余すくらいなら少ない方が良いと言うことでしょうか?今日も元気可愛いですね。
対価を支払って手に入れるものであるのであれば、実のところどれを手に入れても損はしないと言うか、得にもならない可能性はあるのであろうかなとか、ちょうど良いものを手に入れることができれば無駄が少なくなるので、そこを考慮するべきであるのであろうかなとは、思考するわけでございます。
ただ、性能の良いものは悪いものより効率が良いことが多いのである、と言うことならば、一番高いものを選択することは理に適っているとも言えるわけでございます。またこれも一方で、対価の割には性能の向上が少ないと言う場合もありますので、鎬をけずるような比べ合いをするのでなければ適当なところで妥協することも、全体の底上げをすることになる、のではなかろうかなとは、予想できるわけでございます。
それを提供する、売り手の心理を考えるという話でもあるのかもしれません、それを購入してもらった時に、次もまた手に入れてもらえる、その製作者の製品を手に取ってくれる、のではなかろうかなと言うような工夫を凝らしている商品はどれであろうかなと言う推理でありましょうか。
対価の高いものを購入してくれる顧客は長く付き合う可能性が高いのでありまして、なぜならば、資源を多く持っている可能性が高く、なおかつ、その製品の性能が高ければ高いほど、求めている何かが得られると言う背景を持っている可能性が高いわけであり、同時に、その周辺の機器も、性能を信用して手に入れようとする、からであり、であるならば、対価に見合う性能を盛り込んでおこうとする、のではなかろうかなと言うわけでございます。
逆に高いものを一回だけ買わせることで、あとは誤魔化してしまおうと言う商売もあるわけでございまして、流行に乗せる、熱に浮かされる、必要のないものを売りつけるとかその手のやり口でございますが、それはそれで、商売として成り立っている可能性が高いわけでございます。誰がとかどこでとか制作にまつわる話を伏せて、広告で売るわけであり、詐欺に近いとか、そのまま詐欺である場合もありそうではありますが、一定の効果はありそうであります。
対価が少ないものほど悪いものであるということは認識として正しいわけでございまして、直接的なそれを低くして、その他の何かでお得であると錯覚させて、打ってしまうというやり口もあるのであろうかなとか。しかし、場合によってはそのような性能の低いもので十分であると言う、こともあるので、これは選択次第では賢いと言われる行動につながるのであるかなとも連想するわけでございます。
しかしこのような思考をすることすら無駄であると言う、層は一定数存在するわけであり、であれば、迷わないように中庸な、平均的な、真ん中であるような、ものを用意しておくわけでございます、ちょっとだけ考えて、選んだように見せかけて、実は一択しかないようなものを、ごまかすわけでございまして。
自分の方が優位である、選択の余地がある、主導権を持っているというような気持ちにさせることが、商売のこつであると言う話もありそうでありまして、実のところ、製作しやすく、失敗もせず、性能のそこそこであると言う、慣れているものを作って売る方が売り手作り手も楽なわけであり、効率もよろしいと言うような、傾向にあるわけであり、さりげなく、押してみるという技術で持ってして、売り込むのであろうかなとか、いやまあ、普通の話ではあるなぁと。
つまるところ極端に高いとか低いとかの対価で手に入れられる、用意されているものを、本当に手に入れようとすると、驚かれる可能性があるのではないかなとか、ぼんやり連想しつつおしまいです。
「一神教だと選択肢がないということであるかなぁ」
「自分で選んだと錯覚させれば、面倒が少なくなりますよね」
「聖人とかでバリエーションを豊かにしたりはしてますな”旦那様”
心理学とかでよく使われているやつですな”奥様”」




