1958_錆びつきぎしぎし、真鍮。
動きの鈍い金属製の人形に油を刺す場合に最適な種類のものはなんであろうかなとか、粘性のある程度高いものでなければならないとかなんとかであるのではなかろうかとか、これは駄目であるというものもあるのであろうかなとか、食用油が実は良いという話もあったりするのでありましょうか、ごま油を差してお腹が空いてくるということはありそうではあり、天丼が欲しくなることもありそうではあるかなとか、ぼんやり連想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
海老の天ぷらは好きですよね、あと天つゆも好きなんですよね、かけすぎは体に良くないので気をつけましょう。今日も元気可愛いですね。
間違っていることは確かではあるのでありますが、それがいつから正しいということになったのかとかが不明であるような事象はありそうでありまして、同じようなものであるということは実は違いがあるということなのでありますよ、とか、間違えて覚えていたことがあるので訂正したいとかはありそうではありまして。
過去の発言とかもそうなのでありましょうかね、とか、勘違いでそうなっていて今は違うのであるけれども、そのままそれが残ってしまって、個人の印象を決めてしまっているというのは、困りものであるわけでございまして、なので、発言には気をつけなければならないということになるのであろうかなとか。
基本何かを貶めるような言葉を使わなければよろしいのではないかなという予想ができるわけでございますが、得手して、何かを強調したいときには、強い言葉を使いたがるものであり、そして大体においてそれは傷つけることが多い、のかもしれないとかなんとか、であるならば、かなり回りくどく優しく追い詰めてるような言い口がよろしいのかというと、それはそれで陰湿であると嫌われる可能性が高いのではなかろうかとか。
何も考えていない可能性もまた大きく、知っている言葉をただつなげただけでそこに意図がないと言いますか、深い思考がないという場合でございまして、それは無駄話であるならば意味がなくてもよろしいわけでございますが、何かを喚起させる場合にそれでは問題が大きいのであろうかなとか。
ただ、間違えることは普通にあることであり、さらにいうならばどのような表現にしても誤解されることは必ずあるわけであり、むしろ誤解されない方が珍しいと申しますか、伝わらない状況が基本であるという認識で発言する必要があるのであろうかなとか、結果として行動し、利益を得ることを目標にする、ことが大事なのかもしれないと。
それは騙しているのではないかという、話にも繋がりそうではありますが、そもそも全ての言葉にすでに騙されている状態であるので、そこは実は問題になりにくい、と申しますか、対処すべき箇所ではないわけでございまして、どう、騙されてやるのかという話に移行するべき案件ではなかろうかなとか。
自分の好きなように解釈できる余地を残すようにしてに騙されてあげるわけでございまして、いやそういう意味じゃなかったんだと言われたら、ああ、勘違いしていました、けれどももう済んだことですし、次からは気をつけます、とかその手の展開を推し進めている場合が、結構ありそうではあるんでなかろうかなとか、観察できるわけでございます。
それはお互い様であり、明確に誤解が生じないように、遊びが生まれないように、情報を伝達して行動を促すことは、時間が無限になければ不可能なやり口であり、もしくは環境が整っていなければどれだけ時間をかけても無駄になる、部類の問題であるわけであり、どこかで妥協していなければならない、のではなかろうかなとか。
正確な情報伝達と、時間と資源の取引なわけでございまして、最低ここまでは守ってくれれば良いくらいの安全度で動かなければ、現実的には回っていかないわけでございまして、ただ、これも程度がありまして、明確に違反していることが明らかになるようなことはこれはいかんわけであります。この辺りの塩梅を調整しているだけでかなりの資源が浪費されているのであろうかなとか、ただ、それによって、何かが生まれている可能性も高いわけでありまして、別に無駄でもないのであろうかなとか、ぼんやりと連想を発散させつつ、おしまいです。
「同じ言葉でも誤解を産むのですからね、バベルじゃないですが」
「理解されないからこその直感を生み出すとかはありますね」
「以心伝心とか可能でも誤解は生じそうではありますな”旦那様”
誤解の生むエネルギーというものはありそうです”奥様”」




