1941_海老電巣でガンスでふんがでもんが。
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大晦日ですね、今日は夜更かししても良いですよ、とか、いってしまう家庭も多いのかもしれません。まあ、いつもの日でもありますが。眠くなったら我慢せずに眠りましょうね?今日も元気可愛いですな。
今年も色々ありましてというような話題が、年の瀬に集まるわけでございますが、別にここで区切らなくてもいつも世界は動いているので、興味のある対象を延々と語り続けても良いのではなかろうかなとか、想像するわけでございますが、明確に切れ目を作ることで精神の安定を得ているのでありますよ、と言われると、なるほど納得するくらいには頭が柔らかいのであろうかなとか。
節目があるということは、気持ちを新たにすることができるので、自堕落を防ぐ役割があるのであるよという、昨日から続く今日で来たるは明日、変化が乏しい毎日であると疲弊してしまう、貧しくなってしまうので、めりはりをつけるという意味合いが強い、のであろうかなとか、別にそのようなものがなくとも毎日が目新しくて楽しい方にとっては、ちょっと騒がしいですね、と距離を置くことになる、ものでもあるのではなかろうかとか、予想するわけではありますが。
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お祭り価格になってしまっていて逆に非効率である場合もありますが、この場合は、価値を高めるためにに余分に支払うとか考えると、納得がいく場合があったりするわけでございます。そこまでする方が減ってきたので、特別感覚が薄れてきているという話もございますが、余裕がなくなってきているという話ではあるのかなとか。
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ただまあ、こう、同じ時期に重ねるのではなく広く薄く商品を年中提供するやり口の方が、資源的に優しいのではなかろうかなとかは、連想したりはするわけでございます、この時期だけに集中して売れるので作成したものの、今期は流行らず売れなかったとなりますと、かなりしんどいことになりそうではありますし、危険とも言えるわけでございます。
この辺りの塩梅は結構難しいのであろうかなとか、むしろ消費者の方が変化する必要があるのではなかろうかなとか、こう、持続可能な政策やら社会やらとか言われている昨今、大量生産大量消費は見合わないのではなかろうかという、話が出て結構経ちますが、この季節ものの大生産からの大量消費は無くなっていかないわけでございまして、踊る方が多いのであろうかなとか。
それが良いのか悪いのかといえば、実のところ明確に悪くあるわけでございまして、非効率である、わけでありますが、ただそれは短期的に見た結果でしかない場合もありまして、長期的に見るならば、伝統とか文化を守るやり口は、結果として、資源の浪費を抑える、ゆっくりとした変化を維持するものになり得る可能性もあるわけであり、一概に否定されるものではないのではなかろうかなとか、ぼんやり連想を発散させておしまいです。
「年越しそばという習慣はいいね、胃に優しい」
「お節も先に摘むやり方も良いですよ?お酒が進みます」
「ニシンが良いですか?海老天もありますよ?”旦那様”
日本酒が良いですな、燗をつけましょう”奥様”」




