1936_通過します、ちょっと横を失礼。
話の本筋をそれて横を通るような動きをすることが無駄話であるのであろうかなとか、そもそも何の話をしていたのかわからなくくらいに混線する場合もありそうではあるわけでございますが、混沌とすることが目的であるならば、成功はしているのであろうかとか、基本議論は時間稼ぎであるということであるのではなかろうかなとか、残り時間が少なくなると、こちらの意見が通りやすくなるみたいな感覚でありましょうか?卑怯な手と呼ばれることは多そうではあるかなとか、ぼんやり想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
話し合いは始まる前に結果が分かってなければならないのではないかなとか、いや要望は聞いていましたが、望むものがころころと変わってしまっては仕方ないかもしれないとか、古い情報での贈り物ではありますが、まあ、満足はしているみたいではございますな。今日も元気可愛いですね。
時間がなくなって仕舞えば、最初に用意されている計画が発動することになるわけでございまして、用意周到に準備万態整えておいてから、話を振るわけでございまして、そうでなければあまり話し合いには意味がないのではなかろうかなとか、わかってはいるのですが、面倒くさくて、そこまでの手はかけられていない、という怠慢はそれほど珍しいものではなく。
結果として益体もない無駄な議論に時間を費やすことになるわけでございまして、この辺り事前準備が大事ということになるという認識が共通化することによって変化が起こるのではなかろうかなとか、ただ、どれだけの準備が必要であるかという話はありそうではございまして。
議論が演出になってしまう場合はありそうではありまして、いかにも大事そうなことを公開して討論しているという感じみ見せかけて、政治的な、直接的な表現でいうならば、民主主義の根幹をなす選挙に向けた票集めをしている、となってしまうわけでございまして、これはこれで、全く意味がない、とまでは言わないまでも、効率が悪いのではなかろうかなとか。
大筋を少人数で決定してしまうことがよろしくないのではなかろうかという話は、批判の一つとしてあるわけでございますが、少人数の組み合わせが無数に重なることによって、事前準備がなされるのであるならば、むしろ効率と言いますか、精度は高くなり、安全側ではなかろうかなとか。
密室でそのまま進んでしまうことが、最後までそうで、結果だけ発表されることが悪いことかどうかというと、時と場合によりそうではありまして、前提としての知識がない層まで含めて議論というか、討論というか、計画を立案して行こうとするとこれはまあ、まとまらないわけであり、ただ、少人数すぎると意見が先鋭化しすぎてしまい、見落としがあるのではなかろうかという不安も発生するわけであり、この辺りは、均衡を保ちつつ、適切な人員で臨まななければならないのであろうかなとか。
発表までは密室で行っても良いわけでございまして、その後の方針とか、行動に関われる余地を残しておくべきではなかろうかなとか、それは間違いではなかろうかという指摘をする余地と、それを受け入れることのできる余裕を、持った計画を立てる必要があるわけでありますが、残り時間が少ないという現実が、それの邪魔をするか、利用されてしまうのであろうかなとか。
資源が有限であることが問題であるわけでございまして、であるならば、それの割ふりを考えなければならず、しかし近視眼的な、そのばそのばしのぎでの振り分けは、結局長い目で見ると失敗に向かう道にしか見えず、けれども、ここをどうにか凌がなければ、そもそも次が訪れないという危機感もあり、これまた、塩梅が難しいのであろうかなとか。
管理される側としては、できるだけ、負荷をかけないように心がけるべきではなかろうかなとか、管理者側が完璧ではない、というか、むしろ、劣っている、能力が低いと見做しているのであるならば、行動で必要なものは、それを指摘して正義を振りかざすことではなく、仕方ないなぁと言いながら、できるだけ、協力することではなかろうかなとか、想像するわけではありますが、それができる人格はまた少ないだろうなという予想もでき、まあ、混沌とするよね、と、人ごとを言っておしまいです。
「愚かであることは確かなのですから許容の精神が必要なのです」
「どんなに失敗をしても致命的にならないような構造が必要なのでしょうね」
「悪意があるわけではなく能力がないだけであるとかそんな感じですな”旦那様”
フォールセーフは全ての基本ではありますな”奥様”」




