1929_三次に合いましょう、余事に落ちましょう。
現実のことを三次元ということもあるのではなかろうかなとか意外と四次元的な動きにはなっているのではなかろうかなとか、二次元に生きているという可能性もありそうではあるわけでございまして、一次元はどうなのであろうかとか、文章は多分一次元と二次元の間にあると思わせておいて、多次元宇宙を存在させている可能性があるのではなかろうかとかお目目をぐるぐるさせつつ始まる今日のゴブリンでございます。別に熱はありません、平熱ではありますが。
風邪をひきかけていたような気がしましたが、別にそのようなことはないわけでございますね、熱に浮かされていたような言動が、素であることに驚愕をしておけばよろしいでございましょうか?今日も元気可愛いですな。
縦横高さもしくは、上下からの奥行き、言い方は結構ありますが、矢印を三方向へと進ませて形やら力やらをわからせる世界ではあるのであろうかなとか、それに時間経過というような運動量やら、熱量やら変化を加えるので四つの矢印が必要になるとかならないとかの話ではあるのであろうかなとか。
視覚情報によって何かを表すためには、三つの袋がいるとかそのような話であるのかもしれず、ただ結婚式の余興に数学的手法の新解釈とか新しい式の説明をするような流れになってしまうと、場合によっては冷静になってしまう可能性はあるわけでございますが、別の面ではかなり暖かい挨拶になってしまう場合もあるのであろうかなとか。数字で語る結婚とかは普通にありそうではございます。
視覚情報に数式がかぶさっていくような感覚であるならば、それは世界への理解が深まっている証拠ではなかろうかなとかは予想できるわけでございますが、文章の入力も01の機械語で読み取れるようになれば、汎用性が増すのであろうかなとか、いやまあ、逆に冗長性が長すぎて飽きてくる可能性は高そうではあるわけでございまして、順路が不純になる可能性はあるかな、とか不順であるか。
数値で割り切れないところがありますよという話もまた数字に置き換えることができるようになるわけでございまして、ある意味自動化している感情の入出力は数字と相性が良いのではなかろうかなとか、ある点で反応が逆転してしまう、数値のわずかな差が問題である場合がありそうであり、ある意味断続的な思考に囚われているのではなかろうかとか。
複雑であるからして数字と相性が良いのかもしれないとか、感情数式とか思考数式とかがありそうな感じであり、また、映像のような新しい表現による数の関わりがあるのではなかろうかとか絵画的な式が存在しているのではなかろうかとか、この辺りに影響範囲は、結構大きそうな気がするわけでございまして。
悪夢のような数字の羅列に見えるという感覚でありましょうか絵画、別に計算をしているわけではないのですよということであるならば、実のところ本能的に何かを数えているのではなかろうかとか、こう積み上げているのではなく把握する、瞬時に掴んでしまうよな何かが数として存在しているのではなかろうかとか、それは本当に数字なのかどうかが疑問に上がるわけでございますが。
客観的に置き換えることができるものが数字であるならば、すなわち須く数字であるのではなかろうかとか、主観は全て客観視することができるのではなかろうかという予想があるわけでございまして、そもそも主観というものもどこからかの客観であるようにも見えるわけであり、矛盾の塊のような印象を受けてしまう、話の運びにしてしまおうかと試みるわけであり。
もちろんこれは詐術の範囲であり、話術であり、実のところ根拠のない無駄話ではあるのではありますが、倒壊しているというか韜晦していると思わせて仕舞えば、成功の範疇であるのではなかろうかなとか、連想する語彙が暴走している感じではり、韻を踏むあたりを注視しているあたりは、これは私的な指摘で詩的であるのではなかろうかとか、駄洒落に落とし込んでみるわけであり、真理とは何かを材料にして笑っていこうとする独り漫才である可能性も見えてくるわけでございまして、なるほど、熱暴走をしているのであるかなとかも思わせることができるのであるかなとか、惑わせてみて、おしまいです。
「わけのわからない言葉を浴びせかけて惑わす宗教もありそうではありますね」
「わからないものをわかるように見せかけるのが数学です」
「感情を揺らせられるのなら、成功ではないですかね”旦那様”
わからないままに式にしてしまう可能性はありますな”奥様”」




