1926_出力、酒力、入力、乳力、帳尻、ぼんじり。
入力に合わせて出力も均衡を取るべきであるのであろうかというお話ではありますが、基本摩擦がありますので、出力するまでにそのままではなく、どこか熱に変換されてしまっているわけで、永遠に冷えていくわけでして、であれば見た目だけでもその流れを合わせてしまった方が健全に見えるので、無理やり、出力を増やしていることになると、逆に無理な入力で資源が浪費されてしまう、ことにも繋がりかねない、この辺り実をとって虚を捨てるような、やり口が推奨されるのではなかろうかなとかぼんやり連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
どう観察しても、与えた時より増えて混沌としている玩具箱がありますね、どこから持ってきたのです?今日も元気可愛いですね。
税金のお話でもあるのではなかろうかなとか、集める時に無駄が生じるわけでありますので、実のところ、総合的に俯瞰してみると損をしているわけではありますが、ただ、そうであっても一箇所に資源を集めて運用していく消費していかなければ、作れないものもあるわけでございまして、基本的に資源の浪費は避けられないのではなかろうかなとか。
再生可能であることが素晴らしいような言い口をしていますが、それはつまるところ再生のための資源が必要であるというわけであり、事態の先送りでしかないわけでございまして、ただ本質的に須く、先送りであることには違いなく、どれだけ時間を稼げるかどうかに価値を見出すべきであるのではなかろうかなとか。
種の滅亡が避けられないということは、つまりそれほど珍しい現象ではなく、そもそも環境が不安定すぎるわけでありまして、数億年も持たないという話ではなかろうかなとか、いやまあ、宇宙が終わってしまうまでには消え去ることは確定している話ではあるとかなんとか、ある意味、儚いわけであり、そのようなものに固執してどうするのであるかという、想像力のなさを嘆くような話でもありまして。
その僅かな隙間を生きることを選択してきたものが多勢を占めているからこその文明が続いている現状であるわけであり、そもそも虚無的な思考者、実践者が過半数を占めていたならば、振り返る未来すら無くなってしまっているわけでありまして、結果から遡った意見ではあるのであるかなとか、ただ、一定数、そのような未来に希望を持たないというか、滅びを受け入れてしまうような層はいるのではなかろうかとか、贅沢な話という分類に入ってしまう話題ではあるかなとか。
生物学的とかなんとかではなく、生き物として苦しくて辛い現状があるのであるならば、それを受け入れるのではなく足掻き改善するより良くする、もしくは刹那的に逃避するようになる存在が生き物であるのであるのであると、予想するわけであり、そこに至らないのであるならば、まだ余裕があるのではと、見下されてしまう可能性はありそうであるけれども、その視線をもつ者の方が弱者である可能性も高く、社会的に捩れが見える、のかもしれないとか。
貧者であるからこそ真実が見えるのではなく、それを見据えることが現実逃避になってしまい救いに繋がるのであるならば、悲しいことであるとか言ってしまう人格もあるのであろうかなとか。放っておいて欲しいと言ってかまってもらうような動きをする、ある意味首尾一貫してひねくれている矛盾に筋が通ってしまっているような方々が結構多く存在しているのは、これはまあ、思考が断続してしまっているからであろうかなとか、分断された思考を無理やり、繋げているからこそ起こりうる現象であり。
記憶やら思考は常にぶつ切りにされているものであり、それが連続していると認識している流れは錯覚に過ぎず、本来瞬間瞬間に生きているものを、無理やりに技術で繋いでしまっている生き物に過ぎないというか、すぎるすぎないではなくちょうど良い、奇跡的に綱渡り的に連続させてしまっている、思考とかではなかろうかなとか、どうして続いているのかが不明なまま動いている、仕掛けのようなものであり、下手に手を入れると止まりそうで恐怖してしまう仕組みなのではなかろうかなとか、ただその状態が異常に楽しく感じてしまう、方々が過半数を占めているからこその、思考停止である可能性が出てくるわけであり、なんじゃもんじゃなわけである。
何を言っているのかわからないだろうが、記述している方もよくわかっていないわけであり、正しく無駄話をしたなという満足感に包まれていくわけであり、回転数を上げることによって熱量を発して暖を取ろうとう試みかもしれないわけであり、ます今日は寒いですねお風邪などひかないようにご注意ください。
「今日は寒いからね」
「またバグってるような?これが正常なような?」
「ひもじい寒いは撲滅するべき環境です”旦那様”
季違いじゃけどしかないないのですよ”奥様”」




