1922_ミーツー、蜜蜜、三密、密室。
感染症の予防はしっかりとなされなければならない、基本を守れば、それほど負担はないのではなかろうかなとか、飛沫対策と、うがいと手洗いと、ともかく密集しない、集まらないことが肝要なのではなかろうかという話であり、では経済活動は阻害されてもよろしいのかという話にはなるのであるけれども、それこそ遠隔でできるように工夫するべきであるのではなかろうかという話になるわけでございまして、そこを旧態依然で行うのはむしろ怠慢である、とかなんとか、ぼんやりと演説原稿っぽく思考しながら始まる今日のゴブリンでございます。
予防接種は大切なのですよ、あまり痛くなかったでしょう。最近は注射の針が進化したそうでありますからね。今日も元気可愛いですな。
人を集めるやり口はこれは徐々に少なくしていくべきであるのではなかろうかなとか、それは確かに一点に集中している方が生活の効率、環境整備が楽であるという話ではあるのでありますが、広く薄く点在していることが、絶滅の危険性を避けることができることもまた確かであり、そもそも、集中していることのし過ぎていることの弊害はすでに出ているわけでございまして。
人を集めるのであるならば、安全と環境に配慮しなければならないことは当然であり、さらには持続可能な、設備の保守点検改修が容易でなければならないわけであり、安いからと言って安易な工法に頼るものではないということもまた確かではあるけれども、とりあえず急場を凌がなければならないという現状にも一定の理解が必要ではあるのではなかろうかとか。
均衡が、費用対効果が必要であることと、長い目で見ての計画が必要であることと、どのように釣り合わせるのかが大事であり、基本目の前のことを見ることが多い方が多いのであるのであれば、長期的な計画よりに資源を用意する必要があるのではなかろうかとか、放置しておくと近視眼的な対応ばかりになってしまう、のではなかろうかという予想といいますか、おそれがあるわけでございまして。
では遠い未来のために今犠牲になってくれまいか、と、頼んでどれだけの人格が納得するのであろうかという話ではありまして、やはりそこはごまかすしかないのであろうかなとか、徐々に幼少期からの学習によって、認識の変容を促すにせよ、その過程ではどうにかこうにかして、調整していかなければならない、意識させてはいけない内容があるのではなかろうかなという予想ができるわけでございまして。
こう明確に改革をしているという話を出さない方が良い分野があるのであろうかなとか、気がついたならば既に常識が変容しているようなことであるのであろうかなとか、年代が代替わりしている間に徐々に徐々に、騙し絵のように変えていくべき内容であるのではなかろうかとか、ただ、どれだけ時間に余裕があるのか、資源が持つのかという不安は常に付き纏いそうではありまして。
しかしここで焦っても仕方がないという認識はあるのではなかろうかなとか、それこそ一千年単位で変容していかなければならない、もしくはしていく、共通認識とかがあるのではなかろうかとか、新し価値観と申しますか、感情やら、倫理観やらそれらが変異していく、変容していく、必要があるのではなかろうかとか予想するわけでございまして。
それを目にすることはできなくとも遠い未来にそれにつながる何かを作ることはできるのではなかろうかなという予想が、希望というものになるのであろうかなとか、いやまあ、自分がいなくなった後にどうなろうが知ったことではないという話もあるのでありますが、それはそれで、また一つの事象を作るのではなかろうか、とか動因にはなりそうではあるかなとか。
急ぐ方とゆっくり進む方と、双方がいるからこそ回る世界もあるのであろうかなとか、この辺りの齟齬やら衝突やらが非効率に見えるけれども何かを生み出している可能性もありそうではあるかなとか、いやまあ、悪戯にそれを煽るのはまた違うような気がするわけでございますが、自然に発生する、適度なそれまで止めてしまうのはまた違うのであろうかなとか、ただそれを客観的に評価する観測することもまた難しいのであろうかなとか、まあ、振り返っていかなければ分からないものも多いのであり、どこまで行けば振り返れるのかという話でもあるのかとか、連想が発散してきたあたりで、おしまいです。
「神様は閉塞感を与える存在でもあるわけです。安定との取引ですね」
「ある意味前の世代を切り捨てながら成長していくわけです」
「変革をしていく神様とかも、面白そうではありますな”旦那様”
老兵を積極的に消え去らせるスタイルですな”奥様”」




