1921_宮司、ぐじ、くじ、宝、トミー。
資源はあればあるほど良い、というものであるのでございましょうかね、使いきれないそれは持て余すだけではなかろうかという意見もございますが、安心感を買っているのであるとすると、無駄ではないのではございましょうか、具体的には貯金額とかでありますが、これを投資に回すことに忌避感がある人格も、そこそこ存在するのですよね、とかぼんやり連想しながら始まる今日のゴブリンでございます。
今日全部使ってしまうと、明日遊べなくなります、なので計画的に使いましょうねということを幼児に言い聞かせることができるようになりました。今日も元気可愛いですね。
儲け話があるので投資しませんかと言われると無条件で怪しいと思うことは自然な流れではあるわけでございまして、そもそも未来に必要なお金は未来で稼げばいいじゃないかという発想があるのであろうかなとか、もしくは自分にはそのような未来がないという思考方法なのかもしれませんが、こう、刹那的になるのは、絶望しているからであるとか逃避しているからであるとか、は、普通にありそうではございます。
面倒臭いということもあるのであろうかなとは、予想できるわけでございまして、できるだけ労力を少なくして、生きていきたいという欲求は生存戦略的には正しい面があるわけでございまして、資源を少なく消費していくやり口はそれはそれで長生きしそうな気配があるわけでございます。
金銭に対する信頼感が薄いというものもあるのかもしれず、基本信用経済ではあるわけでございますが、それを担保にしてくれる総体に不信感を得てしまったならば、物質的な何かに縋るようになる流れは不自然ではないのではなかろうかなとか、衣食住を自前で賄えるようになる方が安定するのではなかろうかという、発想は、いつの世にも出てくるものでありまして。
ただ自分一人で何事もしてしまうにはこれはもう時間が足りていないわけでございます、労力と言いますか、最初から資源が足りていないわけであり、効率が悪すぎるのであろうかなという、結論も出てしまうわけでございまして、ではどうすれば良いのかというと分業という流れと、それに付随して価値の流動性という面から見る貨幣が、重要視されるようになる、のであろうかなとか。
生きていくために必要な資源は十分社会に足りているのであるならば、労働はしなくとも良いのではなかろうかという発想はそれほど、珍しくはなく、少なくとも概念は違ってくるのではなかろうかなとか、生活環境を維持する設備の保守やら修繕やら更新を的確にしておくだけでどうにかなるのではなかろうかという話ではありまして、そこを分担して行い、食糧その他生活必要物資を融通し合えば、社会は維持できるのではなかろうかという、予想はできるわけでございます。
自身の好みと申しますか性格にあった仕事を続けるようにするというやり口がそもそもどうにかしなければならない問題ではなかろうかなとか、誰にでもできるようにすることが大事なのではなかろうかとか、そのような環境をまず作成することを目指すべきではなかろうかという、意見はありそうではございます。
好みを誘導する、価値観を変異させる必要があるのではなかろうかなとか、こう資源を融通し合うことが当然であるとか、不自然ではないとか、不平不満を言わないというか、感情を大きく動かさないようにする必要があるという、寛容さを皆がもつような感覚であるのであろうかなとか、それを裏付ける豊かさ、食糧やら生活環境の充実やらがあれば宜しかろうという話ではあるのではなかろうかなとか。
ではそれを求めるにはどうすれば良いのかという話になっていくわけでございまして、それについては、長く議論やら推論やら実践やらも重ねられていっておりまして、ずいぶん良くはなってきているのではなかろうかなという観測ができるわけでございます。
この方向性で良いのではなかろうかという向きは見えているのではなかろうかなという楽観と、いやまあ、これは滅亡までの時間稼ぎに過ぎないのじゃないかなという、誤魔化しじゃないかなという、悲観と、こう双方がせめぎ合って、本当は一緒の方向を向いているはずなのに、ぶつかり合うという資源の無駄遣いをしているのではなかろうかなとか、ぼんやり、想像しつつ、おしまいです。
「シンボルとしての神様は必要とされて生まれたのでしょうね」
「怠け者を許容する社会が豊かというものであるのでしょう」
「便利に使われているという感じではありますな”旦那様”
基本皆怠け者なのです生き物は”奥様”」




