1910_もちろん祝日は増えない、総理。
独裁的な国家でなければ急に国民の休日を増やすことはできないわけであり、これは健全なことではなかろうかなとか、いやまあ民主的に緊急動議をかけて全会一致でそのようになる、民主主義国家というものもそれはそれで怖いものがあるのではなかろうかなとか、その場の勢いでなんらかの決定がなされてしまうという話であると、困ることもあるのではなかろうかとか、いやまあ、なんの話なのでありましょう、国際的に大きな試合に自国が勝利するとどうなるのかということであるのであろうかなと今日はゴブリンです(このお話は、2022年11月24日に書かれています)。
夜更かししてしまったので、今日のお昼寝は長いですね、ゆっくりお休みなさいなのですよ。起きましたか。今日も元気可愛いですな。
勝った時は時の運であり、負けた時は努力とか準備不足であると思いなさいという言葉がどこかにあったような気がしますが、つまるところ安全度の高い継続的な力を得られる状況を維持しましょうというお話ではあるわけでございますが、それはそれとして勝利したことに素直に喜びの表情を見せることは、魅力的に見えるわけでございまして。
相手と健闘を称えあうという流れも美しいとは思うのであるけれどもそこをどれだけ薄っぺらいものに見せないのかという話ではあるのではなかろうかなとか、演出が大事になるのであろうけれども計算がすぎるとそれはそれで皮肉という形になり騒動を生み出しかねないわけであり、また難しいのかもしれない。
その辺りを自然体でやってのける人格はそのまま才能であるので誇っていいのではなかろうかなとか、いやまあ、自覚した段階で鼻につくわけであるわけであるけれども、その状態ですら愛らしいという場合もあるのでこれまた難しいわけでございまして、余人が語るときは慎重にならなければならないのであろうかなとか。
そもそもその内容やら歴史やら周囲の環境やらにそれほど興味を持っていなかった、知識がない層が珍しく自国が勝利したので、浮かれてしまっている、その現状は良いのであろうかという話でもあるのではありますが、素直に頑張っている人がその結果が出て偉いねと褒めていると見ると、かなり微笑ましいものがあるのではなかろうかなとか、自分もかんばろうという気になる、という流れになるのではなかろうかなとか。
受け取り方は人それぞれであり、ああ、羨ましい、それに引き換えこっちはという流れで、否定的な感情が表に出てしまう方も、それはそれで普通におられるのであろうかなとか、そもそも、大番狂わせであった敗北した国というものもあるわけでございまして、絶望感が半端ないのではなかろうかという話もあるわけでございまして、いやまあ、そこも鑑みての喜び表現であるのであろうかなとか。
下手に遠慮すると相手が惨めになる場合も多いわけであるけれども、下手に煽ると品がないわけでありますが、そもそも競技自体にそれがあるのかどうかという問題もあり、いやまあ、あるのではあろうけれども、それを打ち壊すような行為もまた普通にあり、これはまあ、どの競技でもあるわけでありますが。
試合の勝敗はともかく良い内容で盛り上がったのであるならば、それで良いのではなかろうかという層も確かに存在するわけであるわけでございますが、それを明らかにしすぎると勝利を楽しんでいるそれを目指して応援している方々に顰蹙を買ってしまうという場合もあり、難しいものではあります。
ただまあ、勝敗がはっきりする試合とか出し物とか見せ物は、これは負ける方が多いわけでございまして、勝つことにしか価値を見出さないでいる方々が大半であるならば、興業としては失敗の可能性が高いのではなかろうかなとか、これまた簡単に予想できるわけでございまして、やはり別の楽しみ、個人技やら、選手の人格で売っていくような形が必要になるのであろうかなとか。
普通に競技の楽しさを全面に押し出せば良いという話ではあるわけでありまして、わずかな道具で沢山の人が楽しめるということだけでもかなり価値のあることじゃないかなとも、思考するわけでして、いやまあ、おめでとうございます、おしまいです。
「神様のお力添えがあったのです、とか、便乗してみましょう」
「予想外の戦略と戦術が刺さったとのことですね」
「試合前の呪術が常識的であるチームとかあったらしいですな”旦那様”
奇襲戦法はいつの世でも派手で印象に残りますな”奥様”」




