1907_因襲、飲酒う、へべれけ、観光編。
沈黙の臓器を叫ばせてみましょうとか、不調を訴えることのない器官に口をつけるような改造は善悪どちらよりであるのであろうかなとか、正確に自分の肉体状態を把握できるようになるということは、良いことではあるのではと予想できるわけでございますが、無理ができなくなりそうではあります、労働環境は良くなるのでありましょうか?などとぼんやりと想像しながら始まる今日のゴブリンでございます。
子供はどこがどのように不調であるか言語化できにくいので注意が必要なのでありますが、基本頑丈なので例外的な感覚に襲われますな。今日も元気可愛いですね。
感覚が鈍い、そもそも判定不能な装備しかしていない臓器とか不具合も良いところではなかろうかなとか、初期不良ではなかろうかとか、いやさ、設計思想からして間違っているのであろうかなとか、これらのことを鑑みてそれらを意図的に作り出したものは存在しないことがはっきりとしてしまうような感覚でございまして。
進化論ではないですが、偶然そのような形状仕様に成り果てたという感覚でございまして、確率的には低いのであろうがなんだろうが、結果から見るとどうしようもないというお話であろうかなとか、であるけれどもその不具合を客観的に認識できるようになってからそれに手を加えないのは怠慢であるのではなかろうかなとか、思考が進むような気がいたします。
外部的な要因で持ってしてそれらの調子を測ることができるようにしようという試みはそれほど珍しくはなく、常態化している構造ではなかろうかなとか、具体的には定期検診のおすすめのようなものであろうかとか、それだけではなく、自身の血液を調べたりもできるようになるのではなかろうかとか、この辺り簡易化が進む要因でもあるのであろうかなとか。
逆にそれらを切り捨てて、寿命を短くする個体をある程度容認するような社会へと認識をふってみる可能性はあるわけでございまして、健康的で働けて、次代を早前に残していただいて、そして壊れたら速やかに退場願うような集団を一定数社会に確保するために、短命種的な存在に変化させてしまうわけでありまして、ある意味ころり往生を量産できないかという、話になるのではなかろうかなとか。
長年の経験をとるのか、瞬間瞬間の生きの良さやら勢いをとるのかの選択になるのではなかろうかとか、短命種と長命種の組み合わせを上手に運用して、社会の多様性を維持していくとか、資源の節約やら有効利用に走るとか、倫理観がずれてくれば十分あり得る話ではあり、実際のところ貧富の差によって、寿命差が生まれつつあるようにも観察できるわけであり。
血統によって長寿が守られるような、環境によってそれが違うような感じになるのであるならば、それなりの未来には、寿命的な分布が二極化するのではなかろうかなとか、それこそ倍近い平均寿命の差が生まれれば、常識が分かれてしまうような社会になりそうではあるわけでございまして、基本老人を優遇しようということになるのであろうかなとか予想できるわけでございます。
長生きをする方が富裕層に固まることによって、貧困層の若年層やら老齢に達しない層から搾取することができるという構造が発生することになるのであろうかなとか、ただ、どの層に対しても等しく加齢による補助があるとする必要はこれはあるわけでございまして、この辺り、不平等とはどういうことなのか、という議論も含めて話し合って妥協しなければならない、のであろうかなとか。
極端な話、富を多く集める集団が、長い寿命を、それこそ一千年単位でのそれを手に入れられるとすると、それ以外の方々が搾取される構造になるのではなかろうかなとかは、予想できるわけでございまして、いつまでも若く健康な個体が、ごく少数存在することは、これは、相当うまくやらなければ歪な形になる、のであろうかなとか、案外徐々に変化していけば綺麗に着地する可能性もあるのかなとか。
机上の空論であろうとか安易に思考を止めるのではない問題かもしれないわけで、医療技術の発達とか、老化停止、若返りとか、結構差し迫った話なのかもしれない、まあ、ひっそりと既にされている可能性も高そうではあるかなとか、ちょっと面白く、笑いながら、おしまいです。
「神様くらいに長生きしたいという、神様の具体例は誰なんでしょうか?」
「老いのメカニズムは判明しつつあるという話はありますね」
「安易に永遠の命をと願って不幸になる物語は多いですな”旦那様”
そこをどうにかすれば、のどうにかがまだ足りないようですな”奥様”」




