1904_利があるか理科倫理雨後の筍キノコ。
有利不利で物事を考えることが単純ではあるけれどもわかりやすい見方ではあるのではなかろうかなとか、世の中はそれほど簡単ではないという意見にはおおよそ感情が付随しているわけであり、それはそれで理不尽ではなかろうかなとか、論理的ではないのではとか疑問が生じるわけではありますが、おおよそ観測不足であることも多いので、どちらもどちらであろうかなとか、ぼんやり思考しながら始まる今日のゴブリンでございます。
常に最悪を予想しろ、でございましたかね?ものの見事にその斜め下を行ってくれますよね。今日も元気可愛いですね。
それができそうであったので為してみたという展開はそれほど珍しくはないわけであり、その後のあれやこれやを予想せずに、無意識でしてしまうことは実はよくあるのではなかろうかなとか、そしてそれは疲労度に比例するやらかしであるのではなかろうかとか、制御が効かない、注意が足りない状況での、流作業的なやらかし案件であるのであろうかなとか。
集中がされる時間はこれは人格によって違うわけでありますし、内容にもよるのであろうかなと予想されるわけでございますが、結構短時間であるのではなかろうかなとか、想像できるものであり、であるならば、日常的にこなさなければならない仕事は、それがない状態でも安全であるように、段取りをしておかなければならないのであろうかとか、想像するわけでございます。
ただ、便利と危険は結構裏表であることがありまして、効率を追求すると安全が疎かになる事例は多く、この辺りの塩梅やら均衡を保つ必要があるのであろうかなとは予想できるわけでございますが、柵など外的要因でどうにか歪んでしまうことも多いのであろうかなとか、自分の速さでやることができない現状をまず最初にどうにかするべきなのであろうかなとか。
対人関係が複雑すぎるというよりは多すぎることが能力の限界を押し下げている場合もありますので、まずはそこを整理して負荷を減らすことが大事なのではなかろうかなという想像があるわけでございますが、逆にそれらの繋がりが便利に働くこともありますので、一概に切ってくださいとは助言し辛いところがあるわけでございまして、いつものごとく、時と場合によるのでありますよという話におちくわけでございます、要はその見極め技術を磨くことが大事なのであろうかなとか。
失敗時での回復を練習しておくべきでもあるのかもしれなとか、常にそれに備えて余裕を持たせておくくせをつけておくことは大事なのではなかろうかなとか、普通の考えではあるけれども、これまた普通の現象である怠惰がそれの邪魔をするわけであり、楽観視が助長していくのであろうかなとか、楽であることを求めることもまた普通であるわけでありまして。
その普通の振れ幅を調整することが大切なのであろうかなとか、そう、それは常識であり一般的であり、まともな精神で起こりうることである、からこそ、少しずつましにしておくとか組み合わせを考えておくとかしなければ、容易に、最悪へとなってしまうことにもなりかねないのであろうかなとか、一つ一つは普通の範囲であるけれども、重なり合わさると、致命的なものに変異してしまうような、むしろ普通であると思い込んでいることが、助長する可能性もあるわけでございまして。
普通ではないという認識がどこかに必要であるのかもしれない、とか、世間の常識を疑ってみようという話にも繋がるのであろうかなとか、みんながやっているのであるから、それは正しいことであるという、その思考に疑問を差し込んでみようという話でもあるのかもしれず、ただそれはただの妄想であったりすることも普通に多いわけであり、対処が意外と難しいのであろうかなとも。
普通という異常が常に身の回りに漂っているという感性であると、これはこれで生きることが大変ではなかろうかなとか、それに慣れてしまうことがまた普通の異常性に浸っていることになるのではとか、空が落ちてくることを心配するような話になってしまうわけではあるけれども、どこかでいつか本当に何かが頭上より落ちてくるかもしれないので、ちょっとは気にしていた方が良いのであろうかなとか、なんの話なのであろうか、などとぼやけてきたあたりで、おしまいです。
「思考停止に宗教は如何ですか、歴史ある対処法ですよ」
「心理学に踏み込んで自己分析すると良いかもしれませんね」
「それも一つの解決方法ではありますな”旦那様”
生兵法にならなければそれはそれで良いと思います”奥様”」




