1900_ハットハットおっとっと、鷲のさむ。
昔は良かったという懐古趣味的な思想は、辛い記憶を維持しきれないからであるという予想があるわけでございますので、あまり間に受けない方が良い場合と、本当に良いところもあった場合があるので判断をやや慎重にする必要があるのではなかろうかなとか、思考するあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
子供は今が一番可愛いという気はしますな。錯覚であるかもしれませんが、保護的な意味合いでも良い傾向かと。お片付けしましょうね?今日も元気可愛いですな。
思考を続けてみると妥当性があり、それは確かに今に続いてきたから、社会が存続してきた結果であるのであり、価値を見出すことができるわけでございまして、その時点で大きな失敗をしていたならば、そもそも今過去を振り返ることができないわけでありますが故に、評価できる、のではなかろうかなとか。
歴史が終わってしまうことが最大の失策であったり不幸であったりであるのであるならば、それを振り返ることができる時点で、あの時代は良かったと判断できる要素になる、のであろうかなとか、こうしなければそこで終わっていたのであるからして、とか、例外というかよくある台詞が、そこで終わっていた方が良かったというものではあるわけではございますが。
ともあれ最悪は避けれられているわけでございまして、振り返って評価できる存在が存続している歴史が続いていることは、良いことではなかろうかなとか考えることができるわけでございますが、その内容が歪んでいることもまた確からしく、考慮しておかなければならず、なぜならば情報は必ず誤って伝わるからであり。
その歪みを計算しつつ資料を読み解かなければならないわけであり、さらにはその精度が良いかどうかを確かめることは、確率的なものを除いて不可能であるからして、延々と議論が続くようになるわけでございまして、いやまあ、明らかな事実は判明する可能性はありますが、その時代の心情は実は難しいわけではなかろうかなとか、予想するわけでございます。
忘却と誤謬と意識のずれで持ってして直感を働かせてきてなんやかんやと進歩の足がかりにしてきたと観察できるわけでございますれば、これはどうしようもない要素ではあるわけでございまして、ならばどうそれと付き合うかという話ではあるわけでございます。現実的にどうこうするとはそのようなことなのではなかろうかなとか。
理想を語ってはいけないとは言わないわけでございまして、ただ、それによって歪むものもあるし、むしろ歪ませるために語るようなものであるのではなかろうかなとか、都合の悪い歴史は改竄される目に遭うわけでございまして、そこに目を向けさせることが、感情的に辛さを助長させるのであるならば、さらに、隠匿されてしまう、結果になりかねないわけであり、そうすると、悲劇が、歴史に学べなかった方々が、また、繰り返してしまう、ことになるのではなかろうかなとか。
ことさらに劇的に演出する必要はなく淡々と事実を連ねていけばそれで十分なくらい、人としての尊厳を破壊するような事象は、これまた多く、むしろ数字だけで表現しても良いのではなかろうかなとか、当時の死亡率とかその原因とか、貧困層の所得やら栄養状態やら逆に富裕層の浪費具合やら、淡々と、述べるような読み物が必要とされる舞台もあるのではなかろうかなとか。
持つものが経済を回さなければ貧困は無くならない、というのはすでに間違いであることが判明しているようであり、つまりは、守勢に回ってしまうからこそ、硬直化してしまい、市場が狭くなり続ける、これはまあ、寿命がそれほど長くないからこその逃げ切り戦略があるのであろうかなとか、自身の欲望やら市場原理のみに任せてしまうとそうなることが明らかになってしまった、と、観察の結果が出ているのであろうかなとか。
であるからこそ、そこに管理者側の介入が必要になる、長期的視野を持った組織が必要になるのであるけれども、やはりその組織もまた短期的な寿命しか持たない人員が構成するわけであり、なかなかに難しいのであろうかなとか、まあ、どうにかこうにか誤魔化しながらやっていくしかないのだろうなぁとか、面白がってみておしまいです。
「まずは人の寿命を劇的に伸ばすところから始めると良いのでは?」
「人格の保存という意味ではそろそろ可能な気はしますね」
「一千年単位で生きられるなら、長期的な計画にも熱心そうですな”旦那様”
環境というものにまた別の意味合いが出てきそうではありますな”奥様”」




