1889_らげ、チェけらけら、ばいぽのちゅーりんがん。
寿限無寿限無と唱え始めて、それは名前であるという知識を持つ方は意外と希少なのではなかろうかなとか、鶴女の方まで行くと希少種ではなかろうかとか、落語界の未来は薄明るいのではなかろうかなとか、心中するまではないかもしれないとか、そこまで芸事に賭けてしまうのはどうかなという心配もあったりなかったりするわけでございますが、別にあまり頓着愛着なく進むいつものゴブリンでございます、こんにちは、お元気ですか?
幼児向けの寿限無はけらけらと笑ってくれるんですよね、意味はわからないけれどもそこが良いのでありましょうか?今日も元気可愛いですね。
呪文のようなものは意味がわからない方が神秘的であるという可能性はありそうではあるかなとかは思うわけでございます、こう、はらったま、きよったま、と声を張り上げている方が霊験あらたかな感じがするようなものでありましょうか?聖書の文言もそうかもしれません、いえまあ、意味を知っておいた方が信仰心的には良いのではという忠告もまた妥当ではあるわけでございますが。
そのために梵字を読めるようになればそれはそれで一つの才能と申しますか技術であるのではなかろうかなとか羅甸語とかもそうではありますし、漢字これであってますかね、羅甸語、古語的なものであるはずであるのに、陽気な音楽にしか見えてこない感覚なわけでございますが、どうしてあれが同じ音で表現されているのでありましょうか?
たまたま同じ音表記であっただけかもしれませんが、こう、原初に近い何かであるという連想がそうであったのであろうかなとか、本能的な言語と音楽が似通っているからこその名称であったとかなんとか、少なくとも音楽が後であるのであろうかなとか、逆にあの明るい音楽があってからこその古語であるならば、最初の言葉はやはり歌であった可能性が出てきそうではありますね。
歌いたいから言葉ができたとか、それはそれで浪漫ではあるのではなかろうかなとか、いやまあ、歌唱に夢を持つのが良いのかどうかという話ではあるわけでございまして、芸術を尊ぶ精神がどうのこうのの前に、単純に本能的に楽しみを愉悦を求めていくことが、上等かどうかというお話であるわけでもあるのであろうかとか。
闘争が下品であるという話でもないのではなかろうかなとか、争いというよりは、生きるための戦いを美しくない評価しないということになれば、生存競争に負けてしまっていたかもしれないわけでございまして、生きるということを美化しなければならなかったからこその芸術であるのではなかろうかとか、逆にそうして美しくしてしまったが故に衰退したとも言えるわけであり、なるほど加減が難しい、塩梅をちょうど良くする技術が発展しなければならなかったのであろうかなとか。
長い名前も文化的ではあるかというと確かにありそうではあり、他と被らない、比較が容易である、個体識別がしやすい、けれども覚えにいと群れの中で存続するには不利である、だからこそ、短くて覚えやすくて、混同しない名づけが必要になる、のかもしれないわけではあるけれども、やりすぎると、逆に浮いてしまって悪目立ちをして不利であることになる、これもまた難しい話ではあるのかなとか。
歌のような歌詞のような名前というのはどうであろうかとか、拍子と共に唱えれば長くとも最後まで言い切ることができる感じではありますが、名付けに音楽的素養が必要になってくるとか、それを専門とする職業ができそうではあるかなとか、実際にすでにあるのではなかろうかなとか、商品名をつける専任業務でありましょうか、値段設定が難しそうではあります。
成果制度にすれば宜しかろうという話でもないわけでございまして、立派に成長したので料金を請求しますという流れにするとどこかで矛盾というか齟齬というか、面白おかしい不幸話が生まれそうではございます、であるならば、どこで妥協するのかという流れにもなるのであろうかなといか。
洒落や駄洒落が効く言語ならば、結構楽な商売なのではなかろうかなとか、いやそれはそれで選択肢が広くなりすぎて困るのかなとか、そもそも価値をどう認めさせるのかが難しいのか、すでに確立しているのか、楽しそうな話題に発展しそうではありますが、無駄話なのでおしまいです。
「長すぎる神様の名前で聖典を嵩上げするやり口はありそうですね」
「名付け親とか今も居られるのでしょうかね?」
「正気度が下がりそうな書物ですな”旦那様”
ゴットファーザ的なものはあるようですよ”奥様”」




