1887_ぶぶ漬けにしてやろうか、古都的表現。
幾度か話題にした覚えがあるわけでございますが、婉曲的な表現はかえって人を傷つけるのではなかろうかなという、再発見が毎回なされている地方があるのではなかろうかなとか、慇懃無礼という言葉もあるように丁寧であれば良いということではないのかもしれないとか、英国の冗談もその部類であるのであろうかなぁとか、あまり詳しくはないのでありますが、新首相就任おめでとうございます、と謝辞を述べたあたりから始まる今日のゴブリンでございます。
直接的な表現を使わないとしつけにならないわけですので、皮肉は使わないのですよ。今日も元気可愛いですね。
双方の立場やら環境やらによって使用する言葉やら仕草を変化させねばならない世の中は複雑すぎるのではなかろうかという意見はもちろん当然なものであるわけでございますが、前提としてそのような振る舞いを形式化していることで、面倒を避けている、避けてきた歴史があったりするので、むべなしとかの意見も妥当とされるわけではございます。
ただ形骸化しているのではなかろうかという意見には真摯に耳を傾けて対応していかなければならないのであろうかなとか、いやさ、それは文化財的な価値を持ってきた様式であり、長く続いてきたというその一点で持ってして、貴重であるものではなかろうかという意見もまた、正しい側面ではあるわけでございまして、もしくは正しい正面なのでありましょうか?
この辺りの塩梅を調整する必要があるのではなかろうかなとか雰囲気とか流れとか、環境に依存させて存続させてしまうと、いらない歪みを発生させかねないという、ただ誰がどの立場で選定するのであろうかとなると、さらに面倒臭いことになりかねないわけでございまして、文化に正しさは必要ないのではという意見すら出てきそうではございます。
法律に触れてしまっても、伝統であるから許されるのではなかろうかという、例外規定はありそうではあるわけでございまして、ではさらには憲法とかおかしてはならない領域の決まりではどうなのであろうかというと、その内側で矛盾が発生してしまっているのでどうにか折り合いをつけて妥協していくことになるのであろうかなという予想が、それほど難しくなくできてしまうわけでございます。
どうにもこうにも我慢がならなければ、対抗するしかなく、それを確実に成すためには時間やら物資やら金銭やら人脈やら資源が必要になるのであろうかなとか、早急にではなく拙速に物事を運ぶのであるならば、実は暴力が一番有効であることが判明されてしまったという話もありそうではあります、つまるところ、未熟であるからこそ打てる手段ということであり、客観的な評価において、人類社会はまだまだ当分、おそらく100年単位でそうであるのであろうかなと。
未熟なまま続く社会であるならば、十分に暴力は効力を発揮するというわけでありまして、これはもう恐怖という感情に支配される、とは言い過ぎですが、動かされる性質がなくなるまでは、終わらないお話であり、感情が残っている限り続く話ではあるわけでございます、構造的にどうにかそれを補正してみようとする試みは続くのではあろうかと予想できるわけではありますが、根本に人間性があり続ける、居座り続けるのであれば、これはまあ、誤魔化しにしかならないのであろうかなとかぼんやり想像できるわけでございます。
いずれは感情に左右されない純粋に論理的な思考で活動する生命体に変化する、のではなかろうかなとか予想されるわけでございます、爆発的な変化やら直感を無くする代わりに安寧とか安定とか調和を得るような構造変化するのであろうかなとか、もしくは高度な、高次元なところでそれらが融和するような、性質に作り直される可能性はあるのかもしれないと。
予想では100年単位ではどうしようもなく、数千年単位で、人としての概念が自然に変化してしまったのちに訪れるのではなかろうかなという、お気楽な予想をしてみたりするわけでございますが、まあ、おそらくは資源が持たないのでその前におしまいになる可能性も高そうではあるかなとか、いやまあ、先の話だと思っていたら、枯渇する資源問題は直近の話題になった感じはするかな、とか、連想を発散させたあたりでおしまいです。
「遠い未来に理想が来ると信じさせることで絶望を回避させる技術です」
「科学技術の発展を示すことで希望を持たせることもできますね」
「絶望していることが基本精神であるとの見方があるわけですな”旦那様”
希望を持つことがむしろ稀有な状態であるとか”奥様”」




