1880_段々と長い知り合いがいなくなる。
歳を重ねていくと同年代かそれより少しかちょっと上の年代との別れを経験していくことになることは自然な流れであり、よく知る方の訃報を聞くことになることが増えるなとは錯覚とは言えず普通のことであるわけでございますが、事故や事件でいきなり消え去ってしまうと衝撃をそれなりに感じるものではあるかなとかぼんやり冥福を祈りながら始まる今日のゴブリンでございます。
はいあなたが笑ってみている過去の動画ですが、大半の登場人物が既にこの世にいないわけでなのですよね、いえ、いちいち指摘することも野暮ではあるのでわありますが、はい笑顔で見ることが供養になるのでしょうな。今日も元気可愛いですね。
色々と私生活で問題があったにせよ、まあ、死んでしまうほどではないよねという感想が普通に浮かんでくるわけでございまして、では全くの善人が不幸なことに巻き込まれて無くなってしまうことと、ある程度因果応報ではという環境かでいってしまうことではその現象に価値差があるのかどうかというお話になってしまうわけでございまして。
そこに価値を見出してしまうのは余人でしかなく、本人の意思の介在する余地がないのではなかろうかなとか、情報としては残るし仕掛けをしておけばその波紋を利用することはできそうではあるのであるけれども一つの人格としてそれをまた受け取ることはできないわけであるわけでございまして、では無意味かというかそもそも意味を見出すものはそうしたいものだけであるのではという意見もありそうではあり、ぐるぐると回っていくのではなかろうかなとか。
自分の意識がなくなった後のことなど関係ないですよという生き方が間違っているかどうかは置いておいてそのような捨て鉢な行動原理の方のそばにはいたくはないですねと距離を置かれる可能性は高くなるわけでございまして、自身に不利益を生じるのでなくなった後のことも気にしているという体裁を取る、のであろうかなと予想するわけでございまして。
残される方を気に掛けるという行為が誠実であると評価されるのであろうかなとかそのような風潮がある、文化があるのであろうかな、と予想するわけでございますが、利益を最大限にしようとするならば不利益を撒き散らす人格から離れることはむしろ自然であり、無軌道、無責任、無鉄砲な方が不利益を被り、消滅していくのではなかろうかなとか。
単純にそうはならない柵とかを産む、産ませることによって、不均衡に搾取する関係を構築するやり口は実のところ珍しくはなく、基本どちらかが退場するまで逃げ切れるので良いのであるならば、楽な方法ではなかろうかという錯覚はされるのであろうかなとか、なのでそれは、全体から見ると不利益極まりないという評価を正しくされるような仕組みを作らなければ、やはり生きづらいということになるのではなかろうか、とか、幸せにはならないのであろうかな、と。
守られるべき存在であるから無条件で守られる、という事実はないわけでございまして、それは理念とか行動指針とか理想であるわけで現実には促していない、少なくとも今ここでそうなっていないからこその意見であるわけでございまして、自分の身は自分で守る必要があることは確かでございます。
ただ、それが全て正しいというわけでもなく、事故や事件に出会ってしまったのは自己責任であるということで切り捨ててしまうと、全体の構造を改善することができないわけでありそれはそれで思考停止状態な危険であるわけでございまして、要は均衡が大事になる、現実に沿った対応が必要になる場面ではあるのであろうかなとか、予想するわけでございます。
弱者は強者によって守られるべきであるという理念とかはあるわけでございますが、どちら側にも失策はあるわけでございまして、油断をすることはできないわけでございます。できうる限り守られているとしても、発生した事件事故を巻き戻すことはできないわけでありますから、気をつけなければならないことに違いはないわけでございます。結論、車に気をつけて道を歩きましょうね、という普通の言葉が吐かれたあたりでおしまいです。
「神も仏もないものか、とか私がいうと黒いジョークになりますね」
「老人を一人で歩かせてはいけないというお話にもなるのでしょうかね?」
「一時代を築いたコメディアンメンバーも残り二人ですか寂しいですな”旦那様”
年寄り扱いをするなと言われても年寄りなんだからなぁとか?”奥様”」




