1879_ダムダム弾無駄無駄無駄だんだだん。
未来から歴史を改変するために訪れる人格は科学的には否定できるのであろうかなという話は以前にも記述したような覚えがあるわけでございますが、どうしてそのやり口が暴力に寄っていくのであろうかなとか疑問には思うわけではありまして、密やかに気付かれずにこっそりと工作を致す方が自然ではなかろうかなとか映像として面白いかどうかの理由であるのでしょうかね、などといつもの無駄話をしつつ始まる今日のゴブリンでございます。
画面が派手であるとそれだけで面白いわけではありますね、夢中ですねそろそろご飯ですよ?今日も元気可愛いですね。
実際に改変が行われているからこそ現在があるとするならば、それをこみにして色々構造を調整していかなければならないのであろうかなとか、いやそれならばあの悲劇は避けられたのではなかろうかという意見には比較的ましな介入結果があれであったのであるよという意見に封殺されるのではなかろうかというお話でございまして。
絶滅はしていない、もしくは至る所の道筋を塞いでいないだけで誰もが幸せになるような環境を目指してはいないという理由付け動機に寄って行動している工作員とその管理者が存在するのではなかろうかなとか、ただ未来にも行けるのであるならばその時点で全て完成してしまうのではなかろうかという疑問はあるわけでございまして、なんとすれば全てがよろしくなっている環境にいくことができるという話であるわけでございますからに。
そこまでの環境を整えてきた歴史はどうなってしまうのであるのかという話ではありますが、要は未来の優れた技術を過去に輸入してしまえば良いわけでございまして、いやまあ、じゃあその発想は誰が最初に考えたのかという矛盾が発生するわけでございますが並行世界と呟けばそれで収まる可能性も高そうではあるわけでございまして。
ではそうなっていない現状がそれらの技術が未来永劫発見されないことの証拠ではなかろうかなという根拠になるのではなかろうかという意見が正しそうに見えるわけでございますが、それこそ無限に存在する並行世界であるのでそれらの技術が訪れない、もしくはまだその時ではない世界線であるだけではなかろうかなという予想もできるわけでございまして。
思考実験のようなものであるのかそこまで高尚ではなく妄言の類であるのであろうかなとか書き散らしてしまうような中に実は真実が含まれているのだよという話ならばそれほど珍しいものではなくそもそもどこかには何かが含まれているわけでございましてそれをどうみぬくかという問題なのかもしれないとか、連想するわけでございます。
受け手の問題でありどのような駄文であったとしてもそれから何かを連想するならば全てをひっくり返すような何かを思いつく可能性があるわけでございまして、それらを否定してはいけないのではなかろうかなというお話ではありますが、明らかに時間の無駄であるという認識があることによって、何かを取りこぼしている流れはありそうではあるかなとか、不安感でしかないのかもしれないわけですが。
強迫観念であるのであろうかなとか知らないということを恐れている知識が得られないとこを時間が足りないことを殊更恐怖に感じてしまうような精神が普通に存在するのであろうかなとかどこかで諦めるのであろうかなとは、予想できるわけでございますが、そうすることが負けであるという価値観もまたわからなくはないわけでございまして。
どのあたりで妥協するのかという話にはなるのであろうかなとか、いやまあ、その問題解決を次代に託すという発想になりまして文明を維持していこうという動因になる場合も多々ありそうでございまして、なるほどこのようにして希望をつなぐのであろうかなとか、思い至り納得することしかり、なわけでございます。
並行世界の住人が大手を振って現れるようになったならば劇的に構造が変化するのであろうかなとか、結構、他力本願な望みであるけれどもそれゆえに気楽であるかなとか希望が持てるとかの部類なのであろうかな、などとつらつら思考しつつおしまいです。
「救済のときはきた、とかやれそうではありますね」
「並行世界の存在を証明する式とかはありそうではありますね」
「未来人を仮の神様とする宗教とか、すでにありそうですな”旦那様”
まゆに唾をつけて確認していきましょう”奥様”」




