1875_洋式和式で中東式、オリエンタル。
他の文化圏からの様式を使用しようとする動機にはやはりおしゃれであるというものがあるのであろうかなとか、見た目が珍しいものが綺麗に映るという理屈があるのではなかろうかとかしかし珍妙な感覚のものもあるはずであるわけでございましてその差はどこから生まれるのであろうかなとか美意識の基本的な色配置やら形配置やらが存在するのであろうなとそう言えば黄金比とか聞いたことがあるかなとか直近では電車と自転車と青年の写真が綺麗であったなとかつらつらと連想をしつつ始まる今日のゴブリンでございます。つかみが長い?仕様です。
布を巻き付けて仮装をしているような感じではありますね、いやそこで平たい人がいるとか発言してしまうと、顔面が濃ゆいような印象になりますね。今日も元気可愛いですね。
それなりにその文化圏でも美しいとされている文化をこちらに輸入するのでありますから、見慣れなくとも美の様式やら型式を満たしているのではなかろうかなという予想はできるわけでございまして、そこは同じ人間でありますので、視覚情報の感覚範囲感度やらが似通っているわけでございます、受信できる波長がそれほど変わりないということでございましょうか。
背景と言いますか環境が違っているので映える配色が変化していることは間違いないわけでございまして、密林と砂漠を背景にしている綺麗な色合いは違うようなものであろうかなとかあと四季があるかどうかも大きく影響はしていそうではございます、雪の有無は大きそうではあるかなとか。
海が青いかとか広いかとか穏やかか激しいかの違いもあるかなとかそもそも海がない地域もそれほど珍しいものではないわけでございまして、水そのものがないところは少ないと申しますかそのようなところでは人の生存が困難であるので文化が育っていない可能性が高いわけではございますがそれを必要としない最低限で良いような地域の美意識はまた違っているのであろうかなとか。
視覚情報で快楽を得るような配置というものはどのようなものであるのかというならば自然に近いものになるのであろうかなとか縦横の比率がどうのこうのとか数の組み合わせがどうのこうのというものでありそれなりの理由やら理屈があるわけでございましてそのようになっているものが多いわけであろうかなとか。
重力の関係と光量日光を効率的に採取するための作りに変化していった結果であるのであろうかなとか植物のお話とかになるのであろうかとか、または物理とかの話であるならば鉱石やからの結晶とかも範囲に入りそうではあるわけでございまして、違和感のないものに快楽を感じるのは生存戦略的なものであるのであろうかなという予想は立つわけでございまして。
不自然なものは危険がある可能性があるといういつもと違うということは事故が発生する事件が近づいてきている災害が突発的なそれが発生する印であるという知識が根底にあった上で感じられる一種の回避能力であるのであろうかなとかそれが不快という感情やら評価と繋がっているので素早い反応が期待できる見落としがすくなくなるのではなかろうかという予想が普通に立つわけでございまして。
ただ違和感を感じる少しずれている危険が潜んでいる状態に美しさを感じることもまたあるのであろうかなとか破壊願望とか破滅願望とか刹那的な美しさ儚さに価値を見出すようなものであろうかなとかこれはこれで感情を揺さぶる要素ではあるわけでございまして、感動するのであろうかなとかであるからこそ尊いとか評価することもあるのではなかろうかなとか。
そもそも自然は不自然なわけでございまして本来は何もない虚空であることが安定しているわけでありますから有ることはすでに歪みで有るとかなんとか言えなくもないわけでございまして、さらには有ることと無いことが並んでいることが歪みであるわけでありまして、安定するためには偏在しなければならないか全くの無でなくてはならないのであろうかなとか、おおよそ安定やら安心やらに美を感じているのは歪みを認めているもしくは自分と同様に歪んでいるからこそ同族的な仲間意識で持って意して安心しているからこそではなかろうかなとかなんとか、まあ、無駄話ではありますしおそらく既出ではあるかなとか、おしまいです。
「神様がそう作られたと言えば思考停止できて安心ですね」
「なるようにしてそうなったとしか結局言えなかったりしますね」
「だから神様は完璧ではないというロジックにもなりますな”旦那様”
原因がループしていることは普通にありますな”奥様”」




