1874_にこ、ちゃんと、大王、ちたまの常識。
嗅覚の近くに排泄口があるような生き物はどのようにしてそのようになったのかとか真面目に考察する論文的な何かがどこかにありそうな気がいたしますが、自身の臭気を脳味噌が遮断するような仕組みになっているのであるならばあるいは可能ではなかろうかなとか、そうなる必然性はよくわからないわけではございますが、なんらかの自己調整やら体調確認用に必要であったのかもしれないとか、そう、排泄物に含まれるなんらかの物質を匂いで判断することによって生き延びる確率が増えるとかなんとかの結果によってそのような形状の生物が次代を多く作り上げたとかなんとか、のっけからどんな妄言を吐いているのでありましょうかという突っ込みをお待ちしております、いつものゴブリンでございます、お元気ですか?
いえですからそれは想像上の生き物で本当にはいない、ということになっていますので、創くらないでいただけるでしょうか?今日も元気可愛いですね。
お鼻で歩く生き物がいたという噂も聞いたことがございますが、今は絶滅しているようでございますね。ええとわかってて言っておりますので、冗談でございますよ?詳しくは鼻行類で各人検索してみてもらえたら幸いでございます。実在を信じてしまった方もおられそうではありますね。
今はいないけれどもかつてはいたのではなかろうかという生き物を想像することはどうして今いる生き物がこの形であるのかを調べることに繋がるのではなかろうかなとか、今後新しく適応する生き物がどのようにして生まれるのかを予想し、さらには品種改良のお仕事を進めるにあたって役に立つのではなかろうかなとか思考することに繋がる、かもしれないのですねとか連想するわけでございまして。
要は誰も知らないということは、どこかで情報の断絶が発生しているのであろうかなとか、そもそも存在すらしていないという現象であっても、存在しなかった、この世界線にはという情報断絶の一種ではなかろうかという見方もできるのではなかろうかとか、乱暴な意見ではありますが主張できそうでございまして。
つまるところ今現在の状況やら環境やらを具に観察して調査して考察して分類して分解して構築して確認していくうちに、確かに存在しない何かを見つけることができたのであるならば、それは断絶を克服したことになるのではなかろうかなとか、消えたその、そのものを認知することができるということであるわけでございまして。
それは新しい何かを見出したのとは何が違うのであろうかという話ではございますが、実のところ本質的には何も違ってはおらず、そのように認識しているほぼ全てのものが新しいのではなく消え去っていた、もしくは断絶していた情報へ、再び接続された現象に過ぎないとか見ることもできるのではなかろうかなという、お話でございまして。
これに何の意味があるのかと言いますと、別にその価値は絶対的ではなく考え方の違い、見方の違いであるという、冷静な意見がありそうではございますが、ある意味ではこれはなんらかの救いになるのではなかろうかなという、展開も期待できるのではなかろうかとか連想するわけでございます。
それはつまり、失われた熱意やら知識やら文化やら思想やら感動やら音楽やら絵画やら演劇やら文学やら技術やらがそれが今ないことに注目して浮き上がらせることによって復活する可能性が示されてしまうということであり、これは歴史やら環境やら悪意やら無関心やらで消えてしまった創作物が復活する道筋になるのではなかろうかなとかその骨髄本心本質抽象化された何かがいつでもどこでも蘇る筋があるのではなかろうかなという希望を持つことができるということでございまして。
今どこにもない誰にも伝わらなかった何かをそれが無いということを知らしめることによって復活させることができる、世間の認識としてはそれはただ単にあららしい何かであるとされたとしてもそれは消え去った何者かが創出したことがある何かであるのではなかろうかという疑念を大衆に植え付けることができるという妄想によって何も残せないという絶望からその人格達を救うことができるのではなかろうかという希望なわけでございまして、なるほど、ちょっと面白い連想ではあるかなとか、笑いながら、今日はおしまいです。
「神様のようなものはいないからこそ創出できるみたいな感じでしょうかね」
「隙間なく全てを埋めてなお残る何かを見出す喜びは確かにありますね」
「新しい神とい概念の再発見に繋がるとかでありましょうか?”旦那様”
繋がりを辿ると不自然に途切れる箇所があるような感覚ですな”奥様”」




