1873_ねっこぬっこのっこにっこにこ。
可愛らしさに全力を注ぎ込んで変異して生き残りを計る生物っていうものが存在するのであるなと認識を新たにしたりしたりしていますが、無力である幼少期を可愛さで庇護欲を全力で掻き立てるような個体が結果的に生存していったのであるならば、それほど変な流れでもないのであろうかなとか、いや可愛いは正義というのものは正しいのであろうかななどと連想しつつ始まる今日のゴブリンでございます。
ある程度の失敗は完全に魅力の一つになっていることがわかりますね。今日も元気可愛いですね。
上位者がいない生き物であるならば、可愛さは誰に向けて発せられる信号であるのであろうかというと、同種のそれ向けであるのであろうかなとか、天敵が同族であるというその状況そのものが修羅の国的な感覚であるのであろるけれども、限られた資源の取り合いとかになると確かに、隣人が的になることは多いのであろうかなとか。
全くのご近所さんであるならば、個人的には対立を薦めないわけでございまして、それは敵対するための資源消費が無駄であるわけであるからですね、費用対効果を考えると近い相手とはできるだけ対立しない方が良い、のでありましょうか、ただこれが、集団同士になると効果的に対立していた方がよろしいということになるわけでございまして。
遠慮していると資源を奪われてしまうのであるから、ある程度は自衛やら恫喝やら威嚇やらが必要になると申しますか自然に整うわけでございまして、この辺りは対話の少なさが問題であるかどうかという話でもなく、必ず誤解を産む情報のやりとししかないという現実に即しているのであろうかなとか。
言葉は結構飾ることが出来やすいものでありますが、行動は意外と直接的な悪意を読み取らせやすいわけでございまして、であるならば、それを簡単に観察することができる隣人との関係が良くなるわけがないわけでございまして、良い行動をすればよいという話ではありますが、基本、悪い意味で捉えた方が安全度が高くなるので、ただただその観察回数が高くなればなるほど、対立しやすくなるという、仕組みはありそうではあるかなとか。
であるならば行動を違いに観察されにくい遠くの集団とよしみを繋ぐことが利益率を高めることになるという話になるわけでございまして、仕草を見ないからこそ悪意を連想しないわけでございますね、さらには、資源の取り合いにはならないという安心感もある、のでありましょうか。
本質的には全ての他は対立関係にあるわけでございまして、なぜならば資源が有限であるからである前提で、生存を果たさなければならないからであります。それも幸福を目指さなければならないと申しますか、快楽を追求したいという欲があるからであるわけでありますから、集団として流されていくならばなおさらでありまして。価値観の共有と言いましょうか、ある種の圧力によって行動が決定されているような感覚であるのであろうかなとか。
比較して嫉妬して欲求するわけでありましょうね、その点からも、行動が見える、環境が見える、近隣に対しての敵対心が自然に起こっていくるわけでございまして、平和を実現するためには、その仕組みをなくするように学習を重ねていき、気にしないようにする嫉妬しないようにしなければならない、のかもしれないとか予想するわけでございます。同時に最低限の生活は保障されなければならないでしょうが。
それが当面無理であるならば、適切に距離をとることが必要になるのではなかろうかなとか、意図して情報を遮断していくのであろうかなとか、特に幸せのそれを見せびらかせないようにする自慢されないようにすることによって、敵対心を起こらないようにするとかなんとか。情報統制をして比較しないようにさせて満足させるやり口だと破綻しときの反動が恐ろしいのでありますが、過剰に幸福さを煽らない程度のやり口は長期的に有用なのではなかろうか、いやまあどこで線引きするのかとなるとまた難しいのであろうな、などと、思考しつつおしまいです。
「嫉妬はしない方が幸せであるという教えは多いですね」
「克己心に繋がる場合もあるのでその辺りが難しいですね」
「人は人自分は自分、と、失敗した為政者に言われると困りますな”旦那様”
心折られて自暴自棄になるケースもありますからな”奥様”」




